【174】箱根西麓野菜の畑 2023.10.21
1 箱根西麓野菜
私の家は、箱根の芦ノ湖から西に降りる斜面の標高約200m強の所にあります。家から箱根に向かう未舗装の道があり、森の中を抜けていくその道を登っていくと、途中からもう家は無くなり、ところどころ道の両側が切り開かれて開墾されて農地になっており、色々な野菜が一面に見事に美しく育てられているのです。
畑になっているのは道の両脇のほんの一部だけで、その向こうには鬱蒼とした森がどこまでも拡がっています。
広い畑にはちらほらと農作業している方を見かけます。
こうした方たちがこんなところで野菜を沢山作っていただいて、それが箱根西麓野菜としてスーパーに並び、私たちが食べることができるのですね。
農業をされている方々には、ほんとうに心より有難く感謝しています。
写真で畑の周りに線が張りめぐらされていることにお気づきですか。
害獣除けの電気柵です。
この辺りにも、猪、鹿、狸、ハクビシン、洗い熊などが出没し、農作物を食い荒らしてしまうのです。柵の設置だけでも大変な作業ですね。
2 「道」というもの
ところで、鎌倉時代とか昔は東海道とかいう言葉は単に道を指すのではなくその地方全体を指すものでした。
今でも北海道というのは道のことではなく地方全体のことですよね。
なぜ、線である道が面である地方と同義になるのでしょう?
昔そのことが不思議でなりませんでした。
その疑問の答えが、今日歩いた風景などを見ているとすっきりと実感できる気がしました。
原生林の中に道が開かれる、そして道の脇に家が建てられ、畑が切り開かれる。
人は一人では生きていけない。
道を介して他者とつながっていないと生きてはいけないのですね。。
人が住めるのは道のあるところだけ、
人里というのは道が通っているところであり、
道が通っていないところは人界ではなかった。
だから 道=地方 だったのだと思います。
道ができ、その両脇に枝道が作られ、その両脇にさらに枝道がつくられる。 そのようにして、線ではなく面で人が住むようになっていったのでしょうね。
逆もあります。
家から登っていって、細い枝道を入っていくと道の一番奥に畑があって、道の左側はに西に向かって開けた斜面となり富士山を見晴らすことができたのです。
それが今年はいかなる理由なのか、奥の畑が耕筰されず、放置されてしまったのです。
そうなると人が通らず刈る者もいなくなったその道には雑草がぼうぼうと生い茂り、それをかき分けて奥まで行ってみても、畑も道も背より高い雑草に覆われてしまって富士山も碌々見えなくなってしまっていたのです。
道ができて人が住めるようになる。
けれど、人が住まなくなると道は消えてしまうのですね。
そんなことを思った箱根西麓散歩でした。
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