妄想
草薙龍瞬さんの「怒る技法」を読んだ。とても興味深く、今は2回目を読み返しているところだ。
元々ぼくはアンガーマネジメントには興味がなかったが、最近、小さなことや自分の思い込みが外れるとイラッとすることが多くなていることに気づいた。
そんな時、本屋をウロウロしていたら出会ったのがこの本である。
誰かも分からず、タイトルとポップを見ただけのジャケ買い状態。でも、なんとなく惹かれるものがあった。と言うのも、最近は仏教に興味が出てきており、その考え哲学を知りたいと思ったからで、著者の草薙龍瞬さんは何と言ってもお坊さんだからだ。
さて、興味本位でふと手にして購入した本なので、読み始めるまでに少し時間がかかった。腰が重いならぬ、「手が届かない」。自分は読みたいのか、そうでないのか。購入しただけで満足?
しかし、そこは自分を追い込むことが得意な自分。読まなければいけない思考に陥り、読み始める。
すると面白いのなんの。怒りのマネジメント方法=技の紹介だが、自分にとっては今の自分を振り返ることができる教科書。
特に「妄想ゾーン」の箇所が刺さった。自分でも妄想が得意なことは知っていたが、ここまで妄想に侵されていたかと痛感。イラっとしたら、妄想ゾーンを広げすぎ。なるほど。。。じゃあ、不安や気落ちした時も妄想ゾーンを広げすぎなのでは、、、そう思うと、目の前が開けた気がする。
序盤に出てくる「サティ」と「ラベリング」。サティに関しても、何となく普段の瞑想やヨガなどで感じていたことだが、改めて言語化してもらうとよくわかる。目を瞑って周りを感じる、知覚する。でもいちいち反応しない。ただ見ているだけ。心に何か浮かんでも、心が何か言っていても、ただ聞くだけ、感じるだけ。何を言っているかを拾ってあげる。
同時に、その事実をありのまま「ラベリング」する。「今、ぼくは〜と思った」。「暑いと思った」。「手が痛いのを気にした」。「〜をしろと言っている」。
こう意識して聞くだけで心の緊張、不安が和らいでいく。
自分は今まで、今でも、左の脳みそが右の脳みそに「あれをしろ」、「なぜしない」、「お前はだからダメだ」、「あれをするのは不安だ」、「怒られるぞ〜」、「悪い奴だお前は」。様々なことを言われている。そして、それらを意識するときも、無意識のときも真に受けてupsetしてる。
実際に、これを意識しだすと、普段はスルーしている聞こえていない声も聞けるような気がする。頭の中は、信じられないほど多くの雑念が生まれては消えの連続だ。その中のほとんどは取るに足らないものなので、すぐに消えて覚えてもいない。しかし、ぼくの場合、小さな声でその雑念レベルの声が自分を卑下したり、不安に陥れたりしている。その小さい声に少し気付けるようになった。
すると、「へぇ、こんな悪いこと言ってるんだ、左脳みそ」みたいな感じで、まるでかくれんぼで鬼になって隠れている奴らを見つけたような気分になる。
そうなるとその隠れていた奴は姿を大きくして、やがて消える。一瞬だけだけど、まだ。。。
それでもやり方がわかると希望が生まれる。悪いところはそれに取り憑かれて、そればかり意識してしまうところだが、今はこのやり方を突き詰めたい。
本の受け売りだが、妄想の広げすぎと意識できて要らぬ雑念を払うと、日常は事実でしかなくなる。事実だけなので、何か起きればそれに対して対処する。つまりゲーム感覚になる。
いまいちこのゲームと言うのがまだ理解、、、というか納得、イメージできないが、そうなれば起きた事象に対応してうまく反応すれば良いだけになるので、自分が楽になるであろう。
そんなレベルの高いことを目指しながら、今後は少しずつ練習して、最終的には自分の経験を子どもに伝えてあげられれば、彼も楽になるのかなと期待している。
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