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かなしみはいつも
6時前に目が覚めた。覚めてしまった…
もうちょっと寝かせてくれ、俺の睡眠。
二度寝しようと努力はした。眠りに落ちないままアラームが鳴る時間になってしまった。
もう少し早めに起きて準備する選択肢はないのか?
んー、、一般的にはあるかもしれないが、私の場合はなかったね。ゴロゴロできる時間までゴロゴロするよ。
ということで、いつも通りいそいそと準備して玄関を飛び出す。
外の道路をちょっと走ったところで、胸ポケットにイヤホンがないことに気づいた。
ああああああああああああ!!
ガガガーーーーーンンンンンんん!!
ここで引き返したら120%間に合わない。でもイヤホンがないと死んでしまう!!!(わがまま)
諦めて次の電車を調べながら、引き返してイヤホンを取りに行った。いつもこうなる。
よく人に「冷静」だと言われるけど、目か脳の錯覚ですね、きっと。私も知らない巧妙なテクニックが隠れているんです。うちの母が言ってました。「あんたは詐欺師よ」って。
うまく騙せているのなら才能だと褒めて欲しいものですね。
冷静に見せているところもあるかもしれないけど、色々と諦観していることも原因のひとつだと思う。
当事者より、傍観者の方がよっぽど楽。そして、傍観者より、傍観者ですらない部外者の方が楽。
中国では、
“两耳不闻窗外事”と言う言葉がある。
元は、「国家の政治に関心を持たない知識人を皮肉っていう」ことらしい(コトバンク)。今では、自分以外のことに無関心な人、例えば私みたいな奴を皮肉っていう言葉だ。(たぶん)
“视而不见,听而不闻”の方が的確かもしれない。
かなしみは
いつも外から
見送っていたい
違う解釈もたくさんあると思うが、私の冷静さはここからも来ている。
耐えられない暑さも、面倒な人間関係も、纏わりついたかなしみも、外から見送っていたい。
などと考えながら、しかし小走りで駅に向かう。車道の反対側の公園では、坊主頭の男子高校生が半立ちで自転車を一生懸命に漕いでいる。
部活かな、部活はもっと早いか。野球部かな。
高校生の頃、
陽炎がゆらめく校庭で走り回る、ユニフォームを着込んだ野球部の子たちを、エアコンが効いた教室の中から、何故か恋しそうに、羨ましそうに眺めたことがあった。
別に野球部に入りたいわけではないはずなのに、あのとき、何故あんなに見惚れていたのかが分からなかった。
今考えてみると、たぶんみんな「自分」の「今」を「生きている」のが、輝いて目に映ったんだと思う。
きっと、部外者である私の方が「楽」なのだろう。でも、当事者であるあの子らは、苦しい、辛い、しんどいかもしれないけど、「楽しい」んでいるし、「生きている」んだ。
恥ずかしながら、虫明亜呂無『むしろ幻想なのが明快である』Ⅱ章「芝生の上のレモン - スポーツへの誘惑」を読みながら、虫明さんがあれほど熱く語るスポーツの楽しさを理解できてない自分がいる。
だからこそ、あの日、少しでも部外者から一歩進んで傍観者(観客)でいさせてくれたことに「ありがとう」と言いたい。
今を生きる愛おしい「当事者」に幸あらんことを。
2023.10.26 星期四