「あなた」には私の思いを微塵も渡したくないっすわ自尊心
ヌルッと覚え書き〜。
こんな目に遭わせたあなたに、私がどれだけ悲しくて悔しくて傷ついて壊れたか思い知らせてやりたい!!
と、ずっと思っていた。
土下座して謝らせたい。
そいつにもダメージを与えたい。
いかに自分は愚かで、自分勝手で、未熟で下劣で低俗な生き物なのかを思い知りやがれと。
あんなことするんじゃあなかったと後悔に苛まれて人生どうにかなっちまえバーローと。
ずっと思っていた。
のだけれど。
昨日の晩。
急に、『私の思いをあなたなんかにわからせたくないわ』という真逆の気持ちが興る。
私の人生で全く大切でない存在があなた、どえらい嫌いだし関わりたくもない人間、それがあなた。
そんな私にとって価値ゼロどころかマイナスにしかならない生き物に、私の思いをわかってもらおうとか?
え?ヤじゃない?そんなヤツにもったいなくない?
いやまじで、私の考えとか気持ちとか、「あなた」には微塵も渡したくないわ。
大切なもの(自分)を
な ぜ に
これまでは一生懸命渡そうとしていたのだ?
アホくさー!
あぶねー!気付いてよかったー。
長年抱いていた怨念、一気に飛んでって消滅しましたわ(成仏)。
そしてわかった。
「被害者」から脱した瞬間かもしれんと。
怨念がおんねんの時は、相手の方が強い(それは「自分の方が弱い」と自覚していることでそう認識しているだけなのだな)、
自分はやられる側で被害者(その時は確かに被害だった、しかしその後はその「被害を持ち続けている状態」になってしまう)の構図であったのが、
オメェにゃ教えてやんねーわ、の発想って自尊心が相手の「強さ(まやかし)」を凌駕している状態。ゆえにもう「やられる側」の認識ではなくなる。
そういうことかぁ、と解釈した。
そして、今回みたいな考えって自尊心が持てるようになってから来るのかなーなんて思っていたんだけど、今回の場合、
なんかふと考えが「ヌルッと」先に滑り込んで、後から、あ、これが自尊心!?自尊心なのね!と「気付く」という順番だった。
何か努力したわけでも意識したわけでも筋トレしたわけでもないなぁ、と。
あ、でも「自分のために必要な物事にお金と時間をかけた」わ。
メンタルとフィジカル、それぞれ決してお安くない自費治療の先生にお世話になっていること。そしてそのいずれもありがたいことにとても自分に合っていて楽しく通い続けられていること。
気になる本があったら迷わず買うこと。
すぐに読まないなら買わないとか、途中までしか読めないから、とかそういうことをせずとにかく買う。
不思議なことにそうして買った本は、積本していてもある時必ず出番が来る。
これらは、「自分を大切に」しようと始めたことで、今では「自分が大切だから」続けている。
今回の、「オメェにゃ教えてやんねーよ」も、
さっきまで
「なんかしらんがごっつぁんゴール決まったわ」みたいに思っていたけど、
ああそうか、これらがジワジワと自分を押し上げてくれてたのか。
急に湧いたわけでは、なかったんだな。
なるほどなぁ。
すげぇなぁ。