一念三千の設問 youtube から ご紹介 https://youtu.be/vZv5UD4xIY4?si=-DT6bANunBqIEUEH
摩訶止観一念三千の出処は摩訶止観であり、法華経には一心三観、一念三千という言葉はない。 天台大師は正嘉二年(1258)37歳から57歳までは、この一念三千の法門は語らず、百界千如の法門ばかりであった。 57歳の4月ごろ、弟子の章安大師に教えられた「摩訶止観」十巻がある。四巻までは秘されていて五巻に至って、十境、十乗、一念三千の法門を立て「一心に具す」などと説かれた。 これにより、200年後に妙楽大師が解釈して「まさに知るべきである。身土一念三千である。したがって悟ならば、
教学講座「教学部初級試験・青年部教学試験3級」のために (sokanet.jp) 2023.9.1 いよいよ、sokanet 会員サポートからも、教学講座が配信されました。 みなさん、無事故で試験にのぞめますこと、力を存分に発揮できますことを祈っております。これにて、失礼します。 ウィスキーの限界より
この御本尊全く余所に求むることなかれ。【本尊とは「根本尊敬」という意味がある。「根本として尊敬する対象」です。口では何と言おうと、ある人は「お金」が本尊になっている。また、「地位」「恋人・家族」「知識」が本尊になっている。根本として何を本尊として生きているかー本尊によって人生が変わってしまう。】 「青春対話」 勤行・唱題とは から要約 ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。 →Q. 胸中の肉団とは? A. 生身の人間の一個の生命の
客曰わく、今生・後生、誰か慎まざらん。誰か和わざらん。 [この経文を披いてつぶさに仏語を承るに、誹謗の科至って重く、毀法の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰いで諸経を閣きしは、これ私曲の思いにあらず、則ち先達の詞に随いしなり。十方の諸人もまたまたかくのごとくなるべし。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕ちんこと、文明らかに理詳らかなり。疑うべからず。]→客が心を開いた理由 いよいよ貴公の慈誨を仰ぎ、ますます愚客の癡心を開けり。→十問九答の結果。 速やかに対
広く衆経を披きたるに、専ら謗法を重んず。 悲しいかな、→大聖人のご心情 皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。 愚かなるかな、→大聖人のご心情 各悪教の綱に懸かって鎮に謗教の網に纏わる。この朦霧の迷い、彼の盛焰の底に沈む。 あに愁えざらんや、あに苦しまざらんや。→大聖人のご心情 汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。→Q. 実乗の一善とはなにか。 A. 法華経のこと。本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法 しからば則ち、三界は皆仏国なり。仏国それ衰え
大白P47 第9段 二難を予言し立正安国を論ずる 第41章 正法・正師に帰依することを願う (←客による客の決意に近い意味を含んでいる) 本文解説 客則ち席を避け、襟を刷って曰わく、 仏教かく区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明らかならず。 ただし 法然聖人の 選択 、←Q. 何か? 法然著者の「選択集」 現に在るなり。 諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等をもって 捨閉閣抛 (しゃへいかくほう) →読めるように に載す。 その文顕然なり。 これに因って、←「これ」と
十界 生命の状態、境涯を10種に分類したもの 十界互具 十界おのおのの生命に十界が備わっていること 仏界即九界、九界即仏界で変革できるとの平等性と可能性を解く 十如是 生命境涯の因果の法則を十種に表して示したもの 心を映し出すありのままの様相、報い、結果 (因果応報) 三世間 → (依正不二) 五陰世間 十界の衆生のそれぞれ十種の境涯を構成する五つの要素 正法 個性 衆生世間 衆生に十界の境涯の違いがあるということ 正法 (即身成仏) 国土世間(世間
第六段 念仏禁止の進言の先例を挙げる 法然の謗法を弁護する 旅人は少し気持ちが落ち着いていう。 あなたは賤しい身分でありながら安易に邪悪な言葉を吐くその主張は行き過ぎであり、その理屈は根拠がない。 仏法の衰微を嘆く 主人がいう。 私は、非力な者ではあるが、恐れ多いことに大乗を学んでいる。仏弟子である私は、唯一の仏の子として生まれて、諸経の王に仕えている。どうして仏法の衰微を見て悲しまないでいられるだろうか。 私は、「善い出家者」というわけではないが、「仏法の中
このまま謗法の教えに執着し続けるなら、まだ起こっていない二難(じかいほんぎゃくなん、たこくしつぴつなん)が起こると警告する。 「立正安国論」は、客(時に旅人)と主人(大聖人)との十問九答の問答形式で展開。客は、北条時頼を想定。主人(大聖人)は、経典に基づき正しい人生と社会の在り方を教え、その実現を促す。 背景 正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が本書を執筆された直接の動機である。 結論として、正法を否定し反発する謗法の教えに人々が帰依するのを
解説「立正安国論」 本質「民衆本位」「世界平和」である。 「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」(しょうをたて、くにをやすんず)と読む。 「立正」は、安国の根本精神であり、「安国」は立正の根本目的である。 まず、「立正」とは 「実乗の一善」すなわち、すべての人々が仏性という根源の力を開いて成仏できると説く法華経の法理である。 個人の次元では、法華経の強い「信」を人々の胸中に確立すること、社会の次元では、法華経から帰結される「人間への尊敬」「生命の尊厳」の理念が、
長い行列の末、二時間待ちました、レストラン内にて。
新しい友達が出来た。