Uiroh no Diary
最近カッコイイかなって思ってスマホの言語設定を英語にしてるんだけど、普段の使用では意味は分からなくても、慣れてるし使えてはいるんだけど、YouTube musicで音楽を聴くとに日本の曲が英訳されて表示されるのは嫌だな。「グッバイ宣言」は“good-bye declaration”ってなるし、Adoの「私は問題作」は“I’m a controversy ”ってなる。友達と話がかみ合わなくなってしまいそう。
「Adoの“I’m a controversy ”きいた?よくね?」
「そんな曲ないよ」
って言われてしまう。
まあ、ほとんどの曲はローマ字変換しているものが殆どで日本語と曲名が変わらないのが多い。Adoのうっせぇわは“usseewa”でした。
「私は最強」は“I’m a strongest”かと思ったら“I’m invincible”だった。Strongestはさすがにくそ英訳か。
アニメの「ぼっち・ざ・ろっく」の曲で「忘れてやらない」は“Never forget”って英訳されていた。いいね。わかりやすくて。
「推しの子」見たヨ、一話が一時間半あるっていうのが重くて見始められなったけど普通に面白かった。ちょっと泣いた。
前作が「かぐや様は告らせたい」とは思えないほど、業界の描き方がリアルっぽいというか説得力がある。作品中によく出てくるいわゆる「ネットの声」が本当にありそうな感じがすごい。ちょっと上から目線なのがリアル。主人公の師匠ポジの監督が40代半ばで都内実家暮らしの子供部屋おじさんなの、実際にいるだろうな、クリエイターあるある。
数話見たけど、主人公の妹何にもしてないな。ネットで自分の推しのアンチと戦ってたとこと、グラビアアイドルと友達になったとこしか覚えてないな。これから活躍するのか?
作中で演技力がある人が演技力なしの大根役者だらけのドラマの撮影に入れられて、周りに合わせて演技を少し下手にするシーンがあるのだが、こうゆうのって本当にあるのだろうか。やっぱり演技がへたな中に演技がうまい人が混ざると悪く浮いてしまうのだろうか。アニメとかの声優でありがちだけど、俳優とかお笑い芸人、原作者、庵野監督がゲストとして声優やったらスゲー目立つよな。まあ、あれは演技が下手というか“ノリ”違うって感じがするな。逆にドラマで声優があの声で演技してたらめっちゃ違和感だと思うし、そうゆう意味では演技が下手なドラマだったら、周りの下手な“ノリ”に合わせて演技を変えることはありそうだな。
前に漫画を読んでたけど、キャラが誰が誰だがわかんなくなって話が入ってこなかった。アニメだと髪色で判別がつくからいい。
水道代払い忘れてまた水道センター行って3000円を払いに行った。これで2回目だ。ポスト見るの忘れてて2か月前ぐらいの請求書が来てびっくりした。しっかりしてくれ俺、この前も給与の振込口座変えだけど、クレジットカードの引き落とし先変えてなくて、カード会社から「口座に金が全然なけど大丈夫そ?」って来てたし、何か必要なものがあって近くのホームセンターに行ったんだけど、何が必要なのか忘れて、面白そうなお菓子だけ買って帰ったりとか、何か人間としての欠陥を感じる。よく俺は仕事ができているなと思う。
水道センターへの帰り道、それだけで帰るのは癪だったのでサイゼリヤ1号店を見に来た。記念に残ってるだけで営業はしてなかった。普通に腹減った、本場のサイゼ喰いたかったな。近くの映画館よってマリオみようかなって思ったけど、21時からのしかなくて、「さすがに遅いな」と思いおとなしく帰った。この日は「水道代払いに行った日」ではなく「サイゼリヤ1号店見て、映画を見ようと思ってやめた日」だ。
帰ってきて思ったけど、マリオみとけばよかったな。映画館から帰って18時ぐらいに近くのラーメン屋で油そば食べて、家帰って寝ちゃって起きたら23時だったからまたそのまま寝た一日、マリオ見てる方が100倍マシだったわ。
そう、スピーカーを買った。家でアマプラとか音楽を聴くときにモニターのスピーカーから流してたけど、このスピーカーに変えてから、めっちゃ楽しくなった。わかりやすく音が違くて笑っちゃった。こうゆうオーディオ機器は性能とかよくわからんから、見た目が気に入ったやつを買うって決めてる。そうすればカスな中身でも「見た目がいいし」って自分に言い聞かせることができる。自分を納得させるのに必死になってる。