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「ことば」についての原体験
この文章は、畏友まつーらとしお先生の呼びかけ、ハッシュタグ「#みんなの母語デー」に応じて書いた文章です。
ナイーブなテーマなので、どう書こうか迷いました。しかし、あえてさほど推敲せず、思いついたことをそのまま書いてみました。
いつも以上の駄文で恐縮ですが、とりあえずアップしてみます。
私は長崎出身で、母語は長崎南部地域のことばである。
もともとの生まれは長崎市中心部にある小高い山のふもとのお寺が並ぶ地域(「寺町」っていう名前はわかりやすいですよね!)で、そのあたりに当時両親が借家を借りており、そこで階段をよちよち昇り降りしながら育ったらしい。
3歳のころ、両親の判断で長崎市中心部から南のほうへ離れた地域にある母方の実家へ引っ越すことになった。両親曰く、市内中心部よりは静かな場所、自然に囲まれた場所のほうが子どもにとっては育ちやすいのではないかと考えた結果ということ、また私の両親ともに共働きであったので、子どもたちの面倒を父母(私たち兄弟から見れば祖父母ですね)に見てもらえるというメリットも考慮してのことだったという。
その後高校卒業にいたるまで、その実家から通学していた。
小学校は実家から歩いて10分で通える距離だったが、中学校はやや離れて徒歩なら30分程度かかる距離(改めてGoogle mapsなどで調べると、3.5kmほど離れているらしい)であった。
高校はさらに遠くなって街の中心部、といってもやはり山手のほうにある学校であった。自宅からはバス通学するしかなく、しかも途中で1本乗り継いでしか行けない場所だったこともあって、通学に片道1時間半はかかったことであった。
自分が母語について強く意識することになったきっかけは、ほぼ中学と高校時代に得られたと言ってよい。
「得られた」といっても、記憶としては決して心地よいものだけとは言えない。中学校のころ、一時期上級生などからわりと深刻ないじめを受けていたことがあったのだが、そのときの上級生の難癖の一つが、「おまえ、しゃべりよる言葉の変なかぞ※」だったことはいまだに忘れていない。
※解説不要とは思いますが、「お前、話している言葉が変だぞ」の意です。
高校に入ると今度は同級生の一部に、市内中心部から離れた場所から来ているというそのことだけでからかわれるということも経験した。
今でこそ(少なくとも私自身は)笑い飛ばせる思い出ではあるものの、広い目で見れば同じ長崎出身となる同級生から、自分が話す「ことば」についてからかわれたりばかにされたりするという経験をしたのである。
当時、それなりの苦痛であったことは間違いない。
その後大学進学で大阪に行ったが、今度はなんとか大阪になじもう、大阪のことばを使いこなせるようになろうというこちらの努力もむなしく、当地の「母語話者」たちからよそ者としての洗礼を受け、ことばについて「変だ」「お前はよそものだな」と指摘されるということをたびたび経験したことであった。
ある程度しかたがないというか、不可避的なことだったろうと思う。が、一方ではやはり形容しがたい苦痛というか、激痛とまではいかないながらも、少々鈍い心の痛みを思い出すことではある。
このように書きつづっていくと、幼少期からの経験は、わりと自分の今の研究テーマや専門領域、またはその中での関心ごとに直結しているかもな、と改めて思う。
「地域のことば」とは、その話し手、使い手のアイデンティティを表す(それゆえに誇らしく感じる)ものであるけれど、もう一方では(というか、それゆえにというべきか)他者からの攻撃の対象に容易になりうるということなのだろう。
辛さ自慢をするつもりはない。
もっとつらい目、被差別の憂き目にあっている人たちはきっと世の中にたくさんいるだろうということくらい、容易に想像できるし、そういったことが想像できるくらいには年齢を重ねてもいる。
また、自分自身もこれまでことばのことで誰かを傷つけた可能性はあるわけで、自分だけが無謬であると主張するつもりもない。
ただ、虐げられる側のつらさは、それなりに経験して知っているつもりである。
だからこそ、自分自身が相手の「ことば」を尊重していないということにはぜったいにしたくないのである。
少なくともこれまでそうあろうとしてきているし、これからもそのように意識していたい。ひいては自分たちの「ことば」とはいったい何であるのかということに対して、生涯を通して興味を持ち続けたいと思っている。
ちなみにこれは完全に余談だが、来月3月中旬に鹿児島で科研費の研究成果発表会のような催しがあり、そこで自分の母語(正確にはそれに限りなく近い地域のことば)をテーマにトークをする予定になっている。ついに長崎のことばについて口頭発表デビューすることになるのだが、はたして今後そちらにも研究範囲を伸ばすことになっていくだろうかどうだろうか。
2月21日は、国際母語デーとのこと。
改めて他者とその「ことば」、そしてそのことばを使うことがもたらすさまざまなことについて私も思いをはせる機会としたい。
拙文を読んでくださったみなさんはもちろんのこと、日本に限らず世界各地の人々の母語が尊重される世の中であってほしいと思う。ことばとそのつかい手たる人々の誇りに、改めて祝福と敬意を。
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