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留学生にも「長崎方言ば教える機会のあるほうがよかとじゃ?」と思った話

ありがたいことに、地元長崎のいくつかの高等教育機関で、留学生対象に日本語学や日本語そのものを教える機会を得ています。彼らとの会話はほんとうに刺激を受けますし、私自身毎週授業が楽しみな今日このごろです。

一方、個人的にちょっと気になっていることがあります。それは、少なくない数の学生が長崎弁に触れる機会が全くないか、あるいはほとんどないということです。

これは、テュルク諸語やトルコでつい先日トルコ語の地域方言の音声収録をしてきた身としてはとても気になっています。もったいないのでは?と。

やや大げさなことをいうようですが、一個人として日本語の多様性に触れてほしいですし、まして数ある日本の留学先の中から長崎を選んでくれた(まあ、人によっては長崎しか選択肢がなかった可能性もなきにしもあらずですが)わけです。

長崎のことばについて詳しく分析したりマスターしたりすることはないにしても、ああ共通語(あるいは、授業で主に扱われる日本語)とは似ているところはここで、ここは違うんだなあということを体感してほしいのですけどね…。

たしかに混乱する可能性というか、そういうリスクはあるのかもしれません。そのリスクはもちろん考慮しないといけないのですが。一方で、こういう試みもあるようですから…。

留学生対象の長崎弁の教科書、ニーズワンチャンないですかね…?などと考える、10月末の日曜深夜でありました。まあ、書けませんけどね?私は。長崎方言の教科書は。でも、あったらわりと授業でも使える可能性ないかなあと思うんですけどね…。

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吉村 大樹
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