いろいろ思い出す、海外滞在のあの頃
今日は更新するつもりはなかったのですが、一つだけ書き置きを。
こちらはX (Twitter)にて、フォロワーの方に教えてもらった読み切りのマンガ。
これはですね…アンカラに短期間とはいえ留学・滞在と経験した身からするとグサグサきます。いろいろ感情移入しつつ、自分のアンカラでの経験を思い出すなどして読んでしまいました。
特に最初の留学生としてアンカラに留学した時の経験のほうが、よりこのマンガの内容に近いような気がします。
自分も最初に家をどうするか、というところから始まったのですが、最初は公立の学生寮があるからそこに入れるよ、という事前の連絡があったのですよね。
ところがいろいろ聞いていると、その手の寮は個室が用意されているわけではなくて、何人かで一部屋ということになるからいろいろ大変だよ、とも別の方から聞いたりなどしていたものでした。自分のアンカラの知り合いで今ルームメイトを探している人がいるから、そこをあたるといいよという話も一応いただいたうえで、あとは行ってからなんとかするしかないか…というので現地に渡航したのでしたが、まあしかるべくしてそうなったというべきか。
実際はもう本当にいろいろ大変でねえ…。
まず国民教育省(日本でいう文部科学省に相当するところですね)のオフィスに行って手続きをするところから始まるのですが、役所でトルコ語が全部聞き取れない中、いろんな部局のたらいまわしにあうわ、寮の手続きも実際に行ってみるとうまくいかないわで、最初に泊まっていたウルス(Ulus)地区の安宿からなかなかチェックアウトできなかったことです。
といって、あまりそこでの宿泊日数が重なると自分の所持金が底をついてしまう…というので、上述の知り合いのつてをあたって、なんとか空いている部屋をシェアさせてもらったのでありました。
その部屋も、空きはしていたのですが生活に必要な家具は全くありませんでした。家具は自分でそろえる必要があるけど、新品が一式買えるほどの資金を持っていたわけでもなく。ということで、せめて机と寝る場所だけでも、ということで旧市街の中古家具を扱う店が集中している地区に、同居人に頼み込んで一緒に買いにいきましてね。
運よくこれとこれだけあれば、という机と椅子、そしてたしか簡易パイプベッドのようなものを格安で買うことができて、そのまますさまじい年代物のトラックに一緒に乗って家まで運んでもらったものでした。
あの時一緒に家具と移動しながら、オレマジでえらい国に来てしもうたな、と思ったものでした。恥ずかしい話ですが、特に渡航して最初の1か月あたりは情緒不安定まっさかり。何かあるたびに人目を忍んでぼろぼろ泣いていた記憶があります。
そんなこんなを乗り越えて、今に至るわけですが…上で紹介したマンガを読むにつけ、そういうことを鮮明に思い出すというわけです。
慣れてしまえばどうということはないあれもそれも、すべては最初の経験があってこそ。そしてその最初の経験は…往々にして苦かったりつらかったりするものなのです。自分だけかな、とその時は思いつつも、こうやっていろいろな人の経験を教えてもらいますに、異国の地に暮らすことになった人であれば、誰もが通る道なのかもしれませんね…
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