語学あるある:知っている単語を見つけてテンション上がる

今年もペルシア語は細々と続けていく所存です。毎回、勉強をしはじめるまでに時間がかかるのは相変わらずですが、なんとかノートを開いて文字を書き出すと、それなりに楽しくなってくるというんですからペルシア文字(アラビア文字)っていうのはよきですね。

相変わらず拙い字と笑われるのは覚悟のうえで、こうやって手書きをSNSで後悔するのには、途中で挫折するという退路を断つという意味合いが大きいです。なんせこちらは週あたりの学習時間も少ないわけですから、自分自身に多くを期待してはいけないのです。トルコ語も最近はサボり気味ですが、多言語に同時に手を出すということはそれだけ1つの言語あたりに割ける時間が減るという意味でもあるので。しかし、まあそれはそれでいいと思いながらやっています。いつまでに何をどうするという明確な目標が今あるわけでもないですし。

で、ペルシア語です。想像以上に、知っている語が出てくるものだなという感想。なぜ知っているかといって、私の場合はテュルク諸語の学習歴があるからですね。もちろん、文字としての現れ方は全く違うのですが。トルコ語、アゼルバイジャン語は現行ラテン文字ですし、ウズベク語のキリル文字・ラテン文字の事実上の併用というのが現状ですし。それは別の問題として、ペルシア文字の字母が読めていくようになると、なるほどと思う単語にたくさん出くわします。

برادر 
barādar
兄弟(トルコ語だと"birader")

とか、

اسم 
esm
名前(トルコ語だと"isim")

とか。ほかにも最近見たのでは、

بله 
bale
(はい/いいえの)はい(アゼルバイジャン語だと"bəli")

このあたりはアゼルバイジャン語にはそのまま入ってきていますし、

قدیمی 
qadīmī
昔の;古代の(トルコ語等でのつづりは本文に書きました)

このあたりの単語はウズベク語あたりでそのままqadimiyという語があるようですし、トルコ語でもkadimという語があるのであたりがつきます。なお、アゼルバイジャン語だとqədimとなり、この語でも母音調和(ざっくりいうと、əとiが相性がよいので母音をこのペアにしている)を維持しようとしているというのがなんというか、個性だなと一人思うなどします。

おそらくですが、今の状態のまま突然自分がイランに飛ばされても、ペルシア語はまだほぼわからないなりにも、言葉の端々に「知っている」語を見つけることはできるのではないかと思います。そのくらいテュルク諸語とペルシア語(諸語)というのは接触の時代が長かったということなのでしょう。なんなら、文法要素まで入ってきているということもありますからね…接続詞のki(ku)とか、添加のhem/hamとか…

…といったように、すでに世界史の授業や大学での地域研究で知識として入っていることを、語学で追体験するというのはなかなか楽しいものです。楽しいんだから、もうちょっとすばやく取りかかろうなオレ…とは思うのですが。

ということで、2023年も欲張り語学企画の柱、ペルシア語は続けていこうと思います。私の今後の関連内容のnoteを見れば、みなさんもそのうちアラビア文字(ペルシア文字)が読めてくるようになる…かもしれませんね…?

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