楽しいけどきつい…しかしやっといてよかったんじゃね?という話
今日も絶賛秋学期の授業準備中です。
新しく担当する授業の準備というのは、今まであまり使わなかった脳を刺激される部分があって楽しい部分がある一方で、時間と体力をわりともっていかれるなあという感想につきます。ほんとに今さらなんですけど、これは大変だわ。
しかしやはり、よい経験の機会をいただいたと思うしかないですか…。まして地元ですからね。地元で自分の知識と経験を還元する絶好の機会というしかないのでしょう。しらんけど。
改めて、留学生向けの日本語の授業を2つ(作文と文法をやります。アンカラ大学以来っすわ。懐かしい感覚…)、それと「対人関係とことば」がテーマのものが一つ(社会言語学の入門的な内容をやることにしました)、あとは音声に関する授業も先日言及した通りです。これらと別に、他の大学でも日本語学関係の授業がいくつか。
これも以前書いた通りで、昼は「日本語の人」として演じようと思っております。トルコ語のお仕事は夕方以降となりましょう。まさに社会言語学の用語でいう「コードスイッチ」ということになるのではないでしょうか。しらんけど。
いずれも日本語教育能力試験を受けようと思って勉強した経験、あるいはアンカラで日本語を教えた経験がなければ実現しなかったことだろうと思うのです。
今から13年くらい前ですかねえ…。当時は当然のことながら、それをやったからどうなるかなどとはほとんど考えることなどできなかったものです。
その能力試験、たしかに受験直前なんかはもう余裕全くなかったですが、それでも市販の日本語史の教科書を読んだ時はうわあ面白えなあと一人感動したものでした。
自分が最初に読んだのは、この教科書でしたけどね。実際の試験でもこの辺りの話はあまり出題されないとあとで聞いてがっかりした思い出もあったりなかったりしましたが、いずれにせよ日本語史はもちろん、日本語文法の話から教授法の話にいたるまで、自分の母語について考えるという機会があったことはやはり貴重な経験だったのでしょう。
直接・間接的にテュルク諸語について考えるときにも役に立っているでしょうしね。そう、最近ずっと同じことばかり書いていますが将来的なテュル活に役に立つはずと思って、日本語学の準備をすることにしましょう…。
なにがどこでいつどのようにつながるか、神のみぞ知るというところでしょうから。
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