フクシマからの報告 2023年春 原発事故12年目の被害地 消えゆくふるさと 荒れ果てるわが家 住民92%がいなくなったゴーストタウン 消去される住民の生活の記憶
福島第一原発事故が始まって12年目の2023年3月11日の前後数日、私は原発事故被害地を訪ねて回った。レンタカーを借りて、同原発から半径10キロ、半径20キロと範囲を広げながら走ってみた。
フクシマの現場取材は12年間に100回を超えた。が、足を運ぶたびに、風景は変わり、残酷な現実に足が止まる。
今回も、無残な光景が広がっていた。JRの駅前にあった商店街は破壊されて、雑草の茂る空き地がどこまでも続く荒野になっていた。
「除染」という名目で建物が解体されたからだ。そんなふうに「街」がいくつも消えていた。
わずかに残った民家や商店も、主を失ったまま荒廃していた。行けども行けども、洗濯物が干されているとか、家族連れが歩いているとか、人が生活している痕跡が見当たらない。
無理もない。そもそも、原発事故で避難したまま住民が戻らないのだ。
原発から半径およそ10キロ以内にある4町(富岡、浪江、大熊、双葉)の人口は、東日本大震災当時5万5935人いたのに、2023年3月現在はわずか4496人。約8.0%である。つまり住民の92%がいなくなってしまった。
いかに住民がいないか知りたければ、被害地を夜に訪ねてみるといい。
人のいない街は、夜になると、墨を流し込んだような闇になる。明かりの灯る民家や商店がほとんどない。
福島第一原発を中心に広がる、無人の荒野。ゴーストタウン。
そんな言葉が頭を去来する。
●ウクライナもフクシマも「暴力による破壊」は本質的に同じ
地球の裏側のウクライナでは、2022年2月から戦争が始まった。砲弾やミサイルがアパートや民家に撃ち込まれ、爆発・炎上し、崩れ落ちる。わが家やふるさとが破壊される。そんな姿がテレビやインターネットに連日流れてくる。
福島第一原発事故の被害地で起きている破壊は、それとは違う。もっとゆっくり進行する。
10年以上の歳月をかけて、人々のふるさとや我が家は姿を消していった。原発事故がもたらす破壊は、ゆっくりゆっくり、姿を現す。
2023年の日本では「戦争は起きていないこと」になっている。
しかし、人々が大切にしていたものを、ある突然無理やり奪い去る「暴力」という点で、フクシマの破壊は、戦争とどこが違うのだろう。
戦争と違って、ゆっくりとしたフクシマの破壊は、マスコミの関心を引かない。だから人目に触れることもない。
そもそも、12年前の原発事故より前、どんな街がそこに広がり、どんなふうに地元の人たちが生活していたのか、知っている記者がほとんどいなくなった。
原発事故が始まって12年。2011年3月11日夜に政府が発令した「原子力緊急事態宣言」は、今も解除されていない。私たちはまだ、2011年3月11日のあの「長く、重苦しい夜」の中にまだいるのだ。
冒頭写真:原発事故で住民が避難したまま12年間空っぽの団地。
2023年3月12日、福島県大熊町で。
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