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若者のすべてはおじさんにとっても若者のすべてだった

 フジファブリックが活動休止を決めて、スイさんが若者のすべてをカバーした。志村さんが生きていた頃に聴いていた曲がまた誰かに愛されている。ただただ素晴らしい曲だということは大前提として、若者のすべてには不思議な力がある。初めて聴いたのは大学生の頃、ちょうど上京してきて、色んな音楽を聴くようになった。世の中にはまだ自分の知らないものがたくさんあるんだなって、感心した。

 部活の夏合宿で山梨に行った。この曲が唄われた場所で、何度も何度も若者のすべてを聴いた。体育会の部活動の練習はそれはそれはきつかった。だからこそ、今色んな事があっても乗り越えられる。もう今は時代遅れになってしまったかもしれないけど、ある意味で馬鹿になって必死で心と体を鍛えた経験は僕の力になった。

 1日を終えて、少しの自由時間があった。洗濯物を干して、ジュースを飲みながら明日のことを考えながら聴いた。あの頃は世の中の仕組みも何にも分かっていない大学生だったけど、「若者」の「すべて」というタイトルとそれを直接的には示さない歌詞が何故か僕を毎晩もやもやさせた。

 最後の練習を終えて、打ち上げをした後、それぞれ仲の良いメンバーと騒いでいた時間。ちょっと涼もうと一人で歩いてみた。そんな時に僕にとってのすべてはなんだろうと考えた。考えたけど答えは出なかった。そんなもんだろう。頭の中にはずっと志村さんの声がリフレインして響いた。

 10年たっても思い出してしまうな。僕はもう若者じゃないことは分かりつつ、それでも思い出してしまう強い力は何だろう。

「若者」も「すべて」も歌詞に出てこない。ぼんやりとした晩夏を歌う。でも、それが若者であり、そのすべてを知ってしまった後で僕らはいつまでも惹きつけられる。

 定型なのかもしれない。僕たちは一度過ぎてしまったものを知っている。そして、若者に対しては、「大人はもうそれを既に知っている」と苦虫を噛み潰し、少しの優越感を持つ。

 それでも思い出さずにはいられない魅力を秘めている。そんな若者のすべて。

#思い出の曲

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