UZ

東京在住の高校国語教師です。 趣味は読書・音楽(邦ロックメインでフェスと箱ライブ参戦中)・スポーツ(バスケアメフト陸上・観戦)・古着・スニーカー・ロードバイク・ジョギング。 つらつらと思ったことを書いていこうと思います。

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100日後に死ぬワニは100日後に死んだワニになった

Twitterで話題となっていたきくちゆうきさんの「100日後に死ぬワニ」が一昨日完結しました。ワニはひよこを助けて事故で死んでしまいました。 マンガの在り方、生と死、読者の読み方など、色々なことを考えさせてくれたこの作品。 まずはマンガの新たな在り方を示したこと。ワニは明らかに今までとは違った形で僕らに届いていました。元々は手に取って触れる書籍だったマンガでしたが、ネットの普及によって作者がそれぞれのホームページに公開するようになった。それらをまとめるコミックサイトも出

    • 誠に牧歌的だった90's~00's

       1989年に生まれて最初の平成生まれだった僕は、世紀末の90年代とゼロ年代と言われる00年代に子供時代を過ごした。テレビで話題を共有して、休みの日には野山を駆け回り、好きな子には逆の態度を取り、ドラゴンのエプロンと刺繡セットを買った頃。あの頃は今考えると、誠に牧歌的だった。大きな悩みはなく、全てを知ることもその手段も無くて、ただ身近な人たちと平和に笑って泣いていても、自ずと成長できた時代。「自分にしかな何か」を求める風潮も無かったように思う。世間は大きな流れに沿っていた。ミ

      • 夜にしがみついて

         毎日東京の街を自転車で走るとたくさんのことに気付く。皆基本的に歩くのが速い。それでいて譲り合っている。朝早く家を出て、山手通りのアップダウンを駆け抜ける。夏はもう汗をかくけど、冬は坂道で寒さが身に染みる。椎名町を越えて交差点を曲がり、びっくりガード下から明治通りに入る。通勤する人とオールした学生が混ざり合う池袋を走り抜ける。  帰り道の夜はどこまでも明るく、道が続いている気がする。街から街へと駆けていくことが実感できるのは夜だと思う。歩いている人は飲みに行くのか家に帰るの

        • 言葉の価値 ~言葉と無意識~

           1993年のセンター試験追試に出題された丸山圭三郎さんの「言葉と無意識」を解き直した。大家の文章というのは凄いもので、どうやったらこんなことを考えつくのか、といつも唸っています。その「こんなこと」は一見何を言ってるか分からないくらい困難なことも多い。だから受験生は現代文を解くのが嫌になるし、解説するのも難しい。しかし、その意味が分かった時、ぱっと頭の靄が消えたような、急に霧が晴れたような不思議な感覚に襲われる。「今まで考えもしなかったけど、確かにそうだな」という気持ち。これ

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        100日後に死ぬワニは100日後に死んだワニになった

          令和歌謡論④ ディーヴァではない令和の歌姫

           前回に続いて、「全方向美少女」「初恋キラー」「東京依存性」の3曲。 「全方向美少女」は TikTokでバズったことで皆に知られるようになった曲。キャッチーなフレーズが印象に残るけど、それだけではない「令和歌謡」としての要素を多分に含んでいます。まずは、序盤のシンプルでアップテンポに続く2フレーズで歌詞をしっかりと聴かせる。女の子の強さという部分を前面に押し出すメッセージ、「世にも美しき怪物」と女の子のギャップにどこか普遍性を感じてしまう。サビに向かうまでのCメロはオクター

          令和歌謡論④ ディーヴァではない令和の歌姫

          東京依存性

           やっと仕事が終わった帰り道。少し寒くなった東京の街を歩いて帰る。10月も終わりなのに暑い日が続いて、感覚がおかしくなる。春と秋が短くなっている気がするけど気のせいじゃない。だんだんと、でも確実に季節は変わりつつある。そんな中で変わらないと思っていた日常も変わりつつあるかもしれない。  「東京女子図鑑」と「東京男子図鑑」を見て共感を覚えた世代。地方から出てきてそこにあった東京に憧れて、今も生きている。東京という街には底知れない魅力があった。合う合わないは別としてだけど、惹き

          東京依存性

          令和歌謡論③ 杯杯ではいはい

           好きなことは掘り下げだすときりがない。乃紫さんの曲に歌謡曲を感じる、その郷愁はどこにあるのでしょうか。  一応聴ける曲は全て聴きました。というかしばらくそれしか聴いてません。その中でもいくつかの曲をピックアップして紹介します。  僕が昔ネットで聴いた初期の初期の「踊れる街」。最近になってMVがYoutubeで公開された。街というモチーフは都市に関わらずどこにでも存在するもの。それぞれ生まれ育った地域に憧れる街が存在する。そこに行くときはワクワクするし、踊るような気持ちに

          令和歌謡論③ 杯杯ではいはい

          令和歌謡論② 歌謡曲の条件

           前回の記事(https://note.com/ufreez76/n/n27726736faed?sub_rt=share_pw)で、「令和歌謡」というワードを使って乃紫さんを紹介したんだけど、そもそも「歌謡曲」って僕らの中でどういうものを指すのでしょうか。   令和歌謡という言葉について、そして昭和歌謡から平成J-POPを経た令和の音楽に至る流れについては、スージー鈴木さんの論が非常によく分かりますので、是非読んでみてください。 「米津玄師にAdo、YOASOBIも?新

          令和歌謡論② 歌謡曲の条件

          令和歌謡論① 乃紫さんのノスタルジー

           何の気なしに見ていたインスタから流れてきた「下北で遊んだハイセンスボーイ」というパワーワードが、胸にぐさりと刺さった。  今、断片的で印象的なフレーズをSNSで日々消費している生活の中でも、印象に残ったものはちゃんと原曲を聴くようにしています。  平成の頃はテレビで見て知ってタワレコやHMVで視聴して買うか、誰か(ちょっと尖った音楽好きの人がクラスに1人か2人はいませんでした?)から教わってCDを貸してもらって、音楽を聴いていた。こうやって繋がる友達がいたり、好きな子と駆

          令和歌謡論① 乃紫さんのノスタルジー

          泣きたくなるほど嬉しい日々に

           誰かのことを何で忘れてしまうんだろう。文化祭終わりで哀しくなった後で感じた疑問。     オープニングは、5年前に企画して大盛り上がりだった。いつもは違う部活動が集まって練習して創り上げたステージ。コロナでしばらく何もできない時期が続いて、去年また復活して、今年は新しい曲をやってくれた。自分が始めたことは人が変わっても間違いなく残っていて、違う人たちに受け継がれていくことが素直に嬉しい。もう自分が関わっていないことが少し寂しいけど、基本的にはそんなもんなんです。  たくさ

          泣きたくなるほど嬉しい日々に

          忘れられない日々

           僕の仕事(教員)は1年のスケジュールが大体決まっている。通常運転で行う仕事はあるんだけど、会社で言うと「繁忙期」みたいな時が来る。その時期が9月。何かというと文化祭である。  この時期は通常業務(授業・部活動)に加えて、文化祭の準備が入ってくる。なかなかに余裕が無くて、毎日追われている現状でした。もうこの仕事も長いので分かっているんだけど、何故か毎年こうなるんですね。  準備も終わり、さあいよいよ本番だ。この高揚感みたいなのは他の仕事には無いもので、感情が動く。あくまで

          忘れられない日々

          雨が降ったあと

           雨が降っている。結構久しぶりかも。東京の雨はしとしと降って、帰る人たちの足を速くする。気温もぐっと下がって、この後は初鍋の予定。いいなあ。自分でやりたいことがたくさんあって、でも全部することは難しい。僕のやりたいことは結構やりつくしてしまった感もある。でも本当に出来るか分からないことについては思うだけでやらないようにしている。  このことをいつか後悔するんだろうけど、人生なんてそんなもんだと。ただ、そう思っていると楽なだけ。やれるけどやらないってのは変化が無い意味では良い

          雨が降ったあと

          誰かに頭を下げてまで、自分の価値を上げるなよ

           今から少し話をしよう  で始まるクリープハイプのバンドを最近聴いていて、自分のことのように考えた。普段の僕はどうだろう。誰かに頭を下げてまで、自分の価値を上げようとしているのかな?  頭を下げることにあまり抵抗はない。自分が悪いことに対して、潔く認めることが大事だと思うから。そして、謝れない人にはなりたくない。自分自身を認めるってそういうことだから。良い所も悪い所も全部ひっくるめて自分。そりゃ人に見せたくないよ。かっこ悪いのは嫌いだから、そうならないように何とかしようと

          誰かに頭を下げてまで、自分の価値を上げるなよ

          人生はグミ・チョコート・パイン

           好きなものって誰にでもありますよね。これが面白いもので、人によっては全くハマらないものでも誰かにとっては特別である。日々人と関わっていて違う人間であることを確認しつつ、それでも分かろうとする。「分かろうとした」っていう旧エヴァのシンジ君のセリフが身に染みます。「分かり合えないのに分かろうとする」っていうことが理想論でなくて好き。ポストモダン以降の哲学について仕事で触れたんだけど、結局確かなものは無くて、信じるものは人によって違う。中世までの自然から自然科学になって、構築され

          人生はグミ・チョコート・パイン

          愛してたのは自分自身だけで馬鹿だな

           相変わらずクリープハイプのトリビュートばかり聴いている。どの曲も素晴らしいカバーになっているんだけど、backnumberの「バンド」は最後を飾るにふさわしいものだった。クリープハイプの思いを代弁しつつ、自らのものとして昇華するアルバムにおいて、その苦労をいよりさんが感じて悩んで、創り上げたものだと思う。  「誰かに頭を下げてまで 自分の価値を下げるなよ」  「だけど愛してたのは自分自身だけで馬鹿だな」  「だから愛されなくても当たり前だろくそだな」  結局は自分の

          愛してたのは自分自身だけで馬鹿だな

          もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって

           クリープハイプのトリビュートアルバムが好きすぎて最近ずっと聴いている。いつまで聴いているのか自分でも分からないけど、とりあえずまだしばらく続きそうな気がする。  クリープハイプは、好きになってからずっと外せないバンド。大学4年の頃、教育実習で行った学校の担当の先生が、幼馴染がやってるんだよって言って聴かせてくれたのが「左耳」だった。その幼馴染が誰だったのかはちゃんと覚えていないけど、なんか特徴的な声をしてるなって思ったのは覚えている。  その後はしばらく聴いていなかった

          もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって