愛を伝えたいだとか?
開きたくないのに目が開いて、思わず顔をしかめてすぐに目を閉じた。猛烈に頭が痛い朝。完全に二日酔いで宿酔というやつだこれは。起きたくないけど起きてしまったことを後悔する。
昨日のことを思い出してみた。確か新宿で友達と飲んでて、二次会で隣の席の女の子グループと仲良くなった。その後西新宿のカラ館に行って、テキーラ一気したんだっけ。その後は記憶が曖昧。右手にはくしゃくしゃのレシートを握りしめているから多分タクシーで帰ったんだと思う。
とりあえず水を飲みたいと思ってベッドを出ようとしたとき、横に誰かいることに気付いた。すうすう寝息を立ててるこの子は誰だっけか。思い出そうとしても考えることを拒否するように頭が痛んだ。飲み会にいた誰かなんだろうけど、全然思い出せない。彼女が着ている見覚えのあるジャージは、僕がパジャマ代わりにしているもの。手玉もあってぶかぶかで、袖口が全然余っている。
起きないその子はとりあえず置いといて、とにかく自分の頭が痛くて体が水分を欲している。起こさないように注意しながらベッドから滑り出たら、見事に身体ごとフローリングに落ちた。最悪。痛いけどここから一歩も動きたくないし、何ならこのまま寝ていたい。冷たくて気持ちいい床。
結構大きな音がしたと思うけど、相変わらず起きる気配がない。痛む身体を無理矢理に起こしてフラフラと洗面所に向かって、震える手で顔を洗った。冷たい水で一瞬気が遠くなったけど、少し目が覚めた。その足でトイレに向かって、口の中に指を突っ込んで少し吐くと気分がだいぶ良くなった。吐瀉物は汚いけど、極彩色でどこか綺麗に見えるほどに頭が働いていない。石田衣良さんの小説でこんな場面なかったっけ?と思いつつ、あっという間に下水の中に消えていった。
口を濯いで部屋に戻ったけど、頭は若干スッキリしたこともあってもう一回寝る気にはならなかった。時計を見ると9時半で、何もない日曜日の一日のスタートとしてはまあ悪くない時間だった。ただ名前も知らない女の子が寝てること以外は。
ケトルでお湯を沸かして、わざととてつもなく苦いインスタントコーヒーを作って、ソファーでタバコに火をつけた。一体僕はなにやってんだろう。
ぼーっとしたままで煙をふかしながら、iPhoneから音楽を流す。シャッフルで5曲目くらいに流れてきたのはあいみょんの「愛を伝えたいだとか」だった。何も健康的でない朝に聴くのは面白かった。
そうしていたらベッドから布団が擦れる音と寝ぼけた声が聴こえてきた。
「うーん、ここ何処?」
「おはよう。ここは僕んちだけど」
「えーっとごめん、誰かな?」
やっぱりお互いに相当酔っぱらってたみたいだ。
「○○です。多分昨日飲んでてて、カラオケに行ったと思うんだけど」
「新宿だよね?ごめん、全然記憶ないや。あれ、これ○○君が貸してくれたの?ありがと。てことはなんかしちゃったのかな?」
「それも覚えてないけど、そんな感じは無いかな。楽な服に着替えたかっただけじゃない?」
「そっか。だいたいこういう時は服着てないものだと思ってたけど、なんか新しいな。えっと、名前分かってない?」
「ごめん、そうなんだよね」
「いやいや、こちらこそ泊めてくれてありがと。××です」
周りを見ると彼女の服がそこらへんに散らばっていたけど、そういう行為に至った形跡はなかったし、恐らくなんとか家に辿り着いて、速攻着替えてからベッドに潜り込んだんだろう。布団から出た彼女はまだ眠そうな顔していた。黒髪ショートで大きな目が不安と興味できょろきょろ動いている。掃除しててよかった。ご丁寧に化粧も落としている顔は幼くてまだあどけなかった。
「なんかごめんね。○○君の部屋綺麗だね。顔洗ってもいいかな。」
そういって立ち上がった彼女を洗面所に案内したら、そこに新しい歯ブラシがあることに気付いた。酔っていたけど、ちゃんと泊まることは認識してたらしい。
「あとは自由に使って。タオルはそこね」
先にソファーに戻ってもたれていたら、戻ってきた彼女がなんとなく僕の隣に座ってきた。
「タバコ貰っていい?」
もちろん。と一本あげたらコーヒーも飲みたいというので、飲んでいたそのままのとびきりに苦いコーヒーを作った。
「うげーなにこれ。苦すぎでしょうよ」
煙を吐き出して、そう言いながらも美味しそうにコーヒーを飲む彼女を改めてちゃんと見てみた。めちゃくちゃ美人とかじゃないけど、愛嬌があって人懐っこい顔をしていた。そんな僕に気付いたみたいで、彼女も僕の方に振り向いた。
「何か顔についてる?あ、すっぴんだから引いた?」
「いや、人の顔見ちゃうのこれ癖なんだよね。気にしないで」
「そんなにじろじろ見られたら気にするでしょ。それにしても頭痛いな。何やってんだろうね」
それは本当に的を射てるなと思った。一緒にいた友達は大学の友達で、学生の頃から一緒にバカな飲み会ばかりしていた。社会人になっても時々会っては相変わらず、その頃のままで飲んでいる。多分向こうも同じなんだろう。
「ほんと。飲んでた皆馬鹿だね。コーヒー飲み終わったら駅まで送ってくよ」
「えーいいよ。わたし今日仕事休みだし、予定もないし、まだ全然動く気しないから気にしないで」
そう言われても困るんだけどな。とは言わなかった。だって今日は僕も休みだし、何の予定もないし、少し彼女に興味が湧いていたから。少し残っていたコーヒーを飲み干した。
「あいみょん流してたよねさっき」
「うん」
「私もね、結構好きなんだ」
そういってタバコもう一本ちょうだいと手刀を切った彼女に、火をつけてあげた1ミリのメンソール。
「あれさ、ヘタレで優柔不断な男の唄だよね。なんであいみょんみたいな可愛い女の子がこんな唄書けるんだろうって思わない?」
「わかんないけど、ヘタレで優柔不断な男の代表からしたら共感できたかな」
「たしかに。だいたいさ、こんなかわいい子泊めといて何にもしないなんて、だいぶヘタレだよ君は」
そういって笑う彼女を今度はばれないように横目で見た。黒髪ショート童顔にタバコとコーヒー、よれて見慣れたジャージがなぜか妙にマッチしている。返事をせずに黙っていると、
「あ、怒った?ごめんごめん。あの唄の始まりと逆で全然健康的じゃない朝じゃん?でも君がなんか歌詞と合って面白くてさ。もしヘタレじゃないなら今からでもいいよ?」
不意にだらっと僕に寄りかかってきた彼女を少しかわして、その提案を僕は丁寧にお断りした。
「いや唄の通りのヘタレなんで大丈夫。そんな動く元気ないや」
「そう?じゃあいっか」
「またの機会にね」
「またなんてあるの。次はないかもしれないのに。だからヘタレなんだよ」
またがないことも概ね理解してるけど、ここでやらない選択をするのが自分だともわかっている。よく分からないこと、めんどくさいことにはあんまり関わりたくない。だったら後腐れなく一人で寝てた方がいい。
「ないだろうねー。でもめんどくさいじゃん。そういうの」
「へー。そんなこという人ほとんどいないよ。男の人はみんな眠くてもそうじゃなくても性欲に勝てないもんだって思ってた」
「そういう人もいるけどさ、少なくともそうじゃないかな」
「なら別にいいよ。もう少し寝ててもいいけど」
そう言って、狭いソファの端に離れていった彼女は少し拗ねてるように見えた。気を悪くさせたなら仕方ない。今まで全くそういう事が無かったわけじゃない。けど、その後に起きる付き合う/付き合わないの駆け引きとか、身体だけの関係とかは得意じゃなかった。そして今はそういう気分じゃないのと、そもそもリスクを負いたくない。申し訳ないけど。
だけど、なんか引っかかるものがあって、それを口にすることが出来ずにいた。まあ単純に彼女に惹かれていたんだけど、こんな二日酔いの状況でちゃんとした判断も出来ないならいいやって。
コーヒーを飲み干した彼女が口を開いた。
「このあとどうするの?」
何の予定もないから返事に困っていたら、向こうから提案してくれた。
「ねえ、もうちょっとだらだらして、昼からどっかいかない?」
「行くってどこに?」
「どこでもいいじゃん。歩いていけるとこかな」
言い忘れてたけど、僕んちは結構都心にあって新宿から歩いても行ける距離にある。
「うーん、じゃあ新宿は?」
「いいねえ。缶ビール飲みながら歩いていこうよ。えっと新宿でしょ?ユニクロとオニツカとアディダスとABC行きたいから付き合って」
「完全に迎え酒だけどね」
「いいじゃん、決まりね。ちょっと寝たらまた飲みたくなるよ」
そういってソファーでまた眼を瞑った彼女にそっと布団をかけた。何にも始まらないかもしれないし、何か始まるかもしれない10時半。僕は気付かれない様にタバコに火をつけた。