人が何のために生きてるのか気になってしまった夜
散り散りの文 あとで整頓。
最近、科学技術や文明の発展は、果たして良いものなのか考えている。文部科学省のホームページを見たら、科学技術で生まれた問題を改善するために科学技術を発展させる というような事が書いてあって、
え、じゃあ科学技術が無かった時が1番良かったのかな?と思った。もしかしたらそうなのかもしれない。
もちろん、科学技術なくして私は今スマホを扱えてないし、科学技術で命が長らえたり、助けられた人もたくさんいるのだから、科学技術が悪いものっていうわけではない。
それがあるからして生まれた悪を、それにより解決しようとすることに、ちょっと矛盾を感じてしまったんです。
そのような流れで科学技術に興味を持った私は、今こんな本を読んでいます。
10項目ありますが、まだ1番初めの宇宙の章しか読めていないです。
宇宙に関する情報は、科学技術の発展に興味と疑問を持つ私にとっては現状においてゴールとしても良いポジションなので、割と満足しています。(ちゃんと全部読みます。)読んで分かったことは、もちろん宇宙へ行くことの課題や現状の計画なんかもわかったんだけど、宇宙へ行く理由は、詰まるところ冒険心なのだということです。
「宇宙に行かなければ」と野望を持つ人の宇宙へ行かないといけない理由は、理屈も沢山あるだろうけど、結局は好奇心や探求心であり、「こうするべき」「これが正解」という社会や他人の流れに乗っかっているのではないようだ。
宇宙へ行く理由も、生きている理由も、
なんで??と疑問を持つことは愚問なのかもしれない。
誰かが大きな目標に向かって生きているからって、私もその目標を追うべき、なんて訳ない。
分かっていた気もする。
自分は何がしたいの?それのために毎日過ごしてみれば良いのではないか。
他の人が何のために生きてるかを真剣に調べる必要なんてなかったな。
私は何のために生きるのか。一つ確定していることは、とにかく良い生活習慣を身につけて質の高い生活を味わうためだ。味わうどころか、まだ生活習慣を身につけてすらいないから、当分の生きる理由になる。
その目標がもし無くなったら、好きなように過ごす。
目標がまた欲しくなったら、一回他人を頼ってみる。世界と政府は、「こんな地球を目指そう」という大きくて簡単には自分ごとに直せないような目標を掲げている。まずはそれを解釈してみたい。
世界中の賢くて真面目な人が考えた目標は、SDGsをパッと見てもわかる様にめちゃめちゃ多岐にわたっている。自分でも、一つくらい共感し、これ目指したいわ!と思えるものがあるだろう。そうであって欲しい。
科学技術の発展も、良いものかなんて分からん。とにかく人類は、目標を決めてそれを達成するというサイクルが進化において効率がいいということを見つけ、それを用いて日々進化しているのだ。
人類の趣味は進化なのではないだろうか。進化欲が遺伝子的にベースにあって、冒険心、好奇心、探究心、向上心とか上向きのそういうものが、一人一人の生きがいに繋がっている気がする。
そして今の地球社会の目標は、持続可能な社会をつくり未来に地球を残すことで、その手段が科学技術なのだ。
原始人のままだったら地球は持続可能だったのかも、愚問なのだろう。地球も文明も歴史も、始まってしまったもんはいつか終わるのだから、持続可能も何もない。でも、少しでも持続期間を伸ばそうとすることが、今の地球社会の目標のようだ。なんだか切ない。
考えなくてもいいようなことを考え、疑問を持つのは私の悪いところでもあり持ち味でもある。人間関係やお金の問題では悩まないけど、生きがいとか、進化の理由とか、変なところで思い悩む。
愚問を持つことを、お許しください。どこかでこの愚問の才能を活かせるといいな。