見出し画像

【#ティッシュを否定する】ティッシュを否定した先にあるもの。


短い梅雨が明けると、余白なしの真夏が来た。連日の猛暑が続く。炎天下、陽炎の中、わたしは駅前通りを歩いていた。
交差点、青い信号が点滅している。後ろから、走って来た男につられて、わたしも急ぎ足になる。渡り終えた途端、額から汗が流れ落ちる。
意識が朦朧としかけたとき、わたしの前にスッと手が差し出される。その手には、何かが握られている。

ポケットテッシュだ。

わたしは反射的にテッシュを受け取る。
ありがたい。ハンカチの類いを持ち合わせていなかったわたしは、受け取ったポケットテッシュで汗を拭おうとする。
ふと、ポケットテッシュに目をやると、表面に文字が書かれている。

「#ティッシュを否定する」

意味が分からず、思考が停止する。
受け取ったのはポケットテッシュである。そこにゴシック体で書かれた「#ティッシュを否定する」の文字。
人は、ふいに理解不能なものに遭遇すると、その意味を探ろとするらしい。わたしは、書かれた言葉の意味を尋ねようと、ティッシュを配布しているひとを目で追う。

しかし、すでに、そのひとは姿を消していた。
ため息をひとつつき、おもむろにポケットテッシュを裏返すと、片隅に小さく『本田すのう』の文字があった。どうやらこれは、本田すのう氏からわたしたちへのメッセージのようだ。

オーケー。

短い間に決意する。いまのわたしにこのメッセージの意味をどこまで受け取れるか分かりはしないが、やってみよう。

こうして、わたしの「#ティッシュを否定する」をめぐる冒険が幕を開けた。


、、、ティッシュを否定する?
、、、ティッシュを否定する??

いきなり突き出された難問に、わたしは見事に翻弄される。

ひらひら、ひらひら。

ティッシュの蝶々がひらひら舞う。
わたしの頭のまわりを飛んでいる。
朦朧とする意識の中、必死に、考えを追う。

、、、ティッシュを否定する?!
、、、ティッシュを否定するぅ?!

遅い。遅すぎる。
本田すのう氏は、ひかりの速さで直進する。
対するわたしは、ひらひらの蝶々だ。

まって、まってよぅ。
ひらひら、ひらひら。

理解がようやく追い付いてくる。
まんまと出遅れる。周回遅れの気分になる。
開きなおりが、心の壁の向こうから、ひょっこり顔を出す。

わーかったーっ!
つまり、否定、するんだよぅ!
(光速の彼女は最初からそう言ってる)

わーかったーっ!
(こりないヤツだ)

つまり、じゃない、すればいいんだよぅ!
(ん?何やら雲行きがあやしいぞ)

だーから、じゃないじゃない、だよぅ!
(そうじゃ、そうじゃな〜い♪)

(しまった、つられてしまった)
(でも、きらいじゃない、、、)

だって、否定の否定は、じゃないじゃない。
言い換えるならば、なくない。
これをおしゃれに決めれば、

なくなくなくなくなくなくない?

どうだろう。おしゃれだろう?
わたし世代のおしゃれ番長といえば、オザケンをおいてほかにいない。

彼は、当たり前や既成概念を、スマートに飛びこえる。さすが、世界のオザワの甥だ。甘いだけの芸人とは違う。
オザケンにかかれば、ティッシュだって、たちまちスタイリッシュになる。

これ、ティッシュ?
ティッシュ、これ?
ティッシュじゃなくなく、なくなくない?

お遊びは、ここまでにする。
これでフェイドアウトしていったら、ただの、事故noteだ。アカウントが凍結されてしまう。危ないところであった。

という訳で(どういう訳だ)、
テッシュペーパーを否定するから思いついたことを書こう。
つまり、既成概念や固定観念にとらわれないということを。

それは、青森の田舎で自給自足生活を営む田村ファミリーへと繋がる。
彼らは、ティッシュペーパーの類いを使わないからだ。これも、ひとつの否定の形だと言える。ここで、ふと、疑問が湧く。
大の、便を、催した後は、どうするのかと。

葉っぱである。

田村ファミリーは、テッシュ(正確には、トイレットペーパー)を否定する。
彼らはその辺に自生するフキノトウや、畑で栽培するキウイフルーツの葉っぱで用を足すのだ。

ただ、使い心地は良いらしい。
使用者いわく、高級ティッシュの代名詞『鼻セレブ』よりもやさしいとのこと。

ふんわり感が、すごいじゃないか。


でも、これだって、突飛なものではない。
歴史を遡れば、古代ギリシャでも、ティッシュを否定していた。
代わりに、彼らは、すべすべの陶器を使用した。

漢王国でも、ティッシュを否定していた。
代わりに、彼らは、つるつるの竹の棒を使用した。

わたしたちの日本だって、ティッシュを否定した過去を持つ。平安時代には、それ専用の木べらが発明されている。

籌木(ちゅうぎ|英語でShit stick)という。

使い方は至ってシンプルである。
それを使って尻の汚れを掻き落とす。
これ以上の説明は、ソーシャル・ディスタンスが密になるので自粛する。研究熱心な方は、こちら(Wikipedia)をどうぞ。


ティッシュを否定することで、わたしたちの生活は、いかに、人工的な既成概念や固定観念にまみれているかに気づかされる。
なんだか生まれ変わったような、スッキリした気分になる。
これも、みな、示唆に富むお題を与えてくれた本田すのう氏のおかげである。

ひかりの姉さんに、感謝する。

折角なので、最後にわたしは自分のユーザー名を否定してみる。柔軟に、そして大胆に。

U

これは「ゆー」じゃない。
これは「/yoo/」でもない。
これは「和集合」でもなければ、
これは「Uncountable noun」(不可算名詞)の記号でもない。

これは、磁石だ。

理科の実験で使う暴力的なまでに砂鉄をひっつける物体。
砂鉄の気持ちになってみると、身の毛もよだつU字磁石。

しかし、それさえも否定してみる。

U

これは、すべてを構成するものだ。
わたしの、からだや、あなたのnoteを。

木や、水や、火や、土や、
花や、虫や、雲や、星を。

これは、この宇宙をつくるもの。

UCHU

ほら、
宇宙は、炭素と水素とUで、出来ている。

ティッシュを否定した先には、
無限の宇宙が広がっていた。



こうして、わたしの「#ティッシュを否定する」をめぐる冒険は幕を閉じたのであった。

たとえ、この記事が、だれの心にも届かず、だれの感性にも響かない、箸にも棒にも掛からぬ駄作だったとしても仕方ない。
どんな結果になろうとも受け止めよう。
それが、わたしのnoterとしての流儀である。
自分のケツは自分で拭くのだ。無論、


『鼻セレブ』で。


※こちらの記事は、本田すのう氏の『 #ティッシュを否定する 』企画に参加しています。詳細は、以下の記事をご参考ください。

©️本田すのう『#ティッシュを否定する』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?