「無税・公益・楽園」――資源活用事業#18
植戸万典(うえと かずのり)です。皆既月蝕は見られましたか?
今回は後半が長いのでアバンは省略。
まずはお約束事として、『神社新報』令和3年4月19日号のオピニオン欄「杜に想ふ」に寄稿したコラムを資源活用します。なんと!掲載紙面での仮名遣いは歴史的仮名遣ひでした。
コラム「無税・公益・楽園」
租税回避地をタックス・ヘイヴンと云う。「税金天国」だと誤解されやすいが、天国を指す「heaven(ヘヴン)」ではなく「haven(ヘイヴン)」なので、そのまま「税の避難所」の意味だ。もっとも、伊語や仏語などでは「税の楽園」と表現するらしいから、あながち的外れとも云えまい。徴税という公権力の支配から自由になるなら、仁德帝の故事を引くまでもなく庶民にとっては天国であり楽園でありエデンの園だろう。
世の中には統治権力の及び難い「聖域」が存在する。日本も古くは山や港、市場など、支配の及びきらない境界が遍在していた。社寺もそのひとつだ。宗教的権威を背景に徴税権や警察権の干渉を拒む自治領域となったそこは、史学で「アジール」と呼ばれる。
アジールは世俗の権力から独立した社会的な避難所であり、古今東西で見られた。日本でも、その山門を潜れば罪人もそれ以上の追及を逃れた。鎌倉の東慶寺のように駆け込めば嫌な夫と離縁できる縁切寺もあった。網野善彦氏の『無縁・公界・楽』で有名となった概念だが、すでに戦前の平泉澄氏が『中世に於ける社寺と社会との関係』でその存在を指摘している。近年もさまざまな論争があり、若手研究者の業績も注目される。
そうした異界は、特権を天与のものとして享受する楽園だったのだろうか。否、むしろ対立する統治権力の容認によって成り立ち、逃避者も世間との縁を絶って苦と向き合うこととなる。そのため、全国的な統治の力が衰微した中世には有効だったが、近世以降は次第に否定され、避難所としての機能は共同体そのものの内部に取り込まれてゆく。
現代でアジール的に扱われる空間は大使館などに限られる。ただ広く解釈すれば、社寺の宗教活動には徴税が及ばないという点に不輸の面影を感じられるかもしれない。
宗教行為が無税なのは、信仰に基づく非営利の活動だからであり、畢竟それが世俗を超える公益だからだろう。例外的に免除を容認するその理路はアジールも思わす。問題は、社寺の活動を社会が公益と認めるか。
貨幣経済が主流となって神仏への奉納も物から金銭になったように、社会の変化に社寺の側も合わせてゆくことは大切だ。一方で、社寺へ納める金員を寄進でなく神符守札や神事の対価と考え、彩り豊かな授与品を参道の土産物の延長と見る向きもある。そういう「参拝客」にとって、社寺の活動は私企業の営利活動と何が違おう。
アジールがあくまでも統治上の譲歩で存続し、そして統治の中で否定されて消滅したように、現代に社寺側がどう強弁しても喜捨する側――すなわち国民全体の意識が変われば公益に基づくという特権も理由は無くなる。
世俗に染まり過ぎないことも宗教の意義なのだろう。聖書では、禁断の果実を口にしたことでアダムとイヴは楽園を失っている。
(ライター・史学徒)
※『神社新報』(令和3年4月19日号)より
「無税・公益・楽園」のオーディオコメンタリーめいたもの
説明不要とは思うのですが、タイトルは網野善彦著『無縁・公界・楽』のオマージュです。
コラムでも触れたとおり、境内で御守や御札などを受けるときに納める「初穂料」は神社や祭神への「奉納」であって物品の対価ではない、というのが建て前……原則です。ご祈祷の際に納めている「玉串料」も同様。お寺の場合は「お布施」とか「志納」とかいう表現がよく聞かれます。
こうした初穂料とかお布施とか賽銭とかは、商売に対する「代金」ではなく信仰上の「喜捨」という扱いのため、課税も免除されています。
ただ、喜捨なのか対価性のあるものなのかという線引きは判断が難しいものもあって、実務的には当局の現場判断によるところも大きいのではないかなぁ、というのが実感です。
そうした状況なので、税務以外の行政が絡んでいたりすると更に厄介だったりします。
GoToトラベルが始まった頃を覚えていますか? 現時点で既に「そんなこともあったなぁ」感も満々ですが、あれの一環で「地域共通クーポン」という政策がありました(今も一時停止なだけかもしれませんけど)。
仄聞するに、あのキャンペーンが始まる間際、当該事業の各地の事務局から観光地の神社や寺院に対し、クーポン取扱店になるよう誘う打診があったのだとか。
社寺も地域振興に貢献できるなら良いじゃないか、と思ってしまうところながら、界隈で問題となったのは、その地域共通クーポンは授与品も利用対象なのか、でした。
地域共通クーポンの事業概要には、クーポンは無償譲渡、寄付、献金、寄進及びこれに準ずるものは適用外とされていました。
また同時に、事業の公式FAQには、寄付にあたるものは利用できないけれど寄付にあたるかどうかは各社寺で判断するように(要約)、とありました。
リンク先にあるGoToトラベル事業Q&A集(令和3年3月23日時点)には現在も、
Q230 寺社仏閣の拝観料、お守り代、宝物館入館料などは、地域共通クーポンを利用できますか。
A 寄附にあたるものは利用できません。寄附にあたるか否かは、それぞれの寺社仏閣で判断ください。
とあります。
聡い方はお気づきのとおりです。
つまり、地域共通クーポンの利用対象は各事業者がそれぞれ判断するものであり、そのクーポンを授与品に使えるように神社仏閣が対応した場合、クーポンの使える物品は寄付とは関係ない=対価性のある「商品」だと当事者である社寺自らが認める、という構図となっていたのです。
キャンペーン事務局からそうした説明が各社寺にあったのかは、特に聞こえてきません。おそらくされていることでしょうが。
ちなみに今から20年ほど前、地域共通クーポンに似たもので「地域振興券」がありました。
平成11年当時、個人消費の喚起と地域経済の活性化を図るため、「地域振興券」という地元店舗の共通商品券のようなものが国民に配られたのです。旅行とは関係ない地域共通クーポンだと思えばだいたいOKです。
この「地域振興券」が神社仏閣で使えるか否か、当時の『神社新報』には自治省地域振興券推進室の回答として以下のように載っています。
振興券をお賽銭・奉納物として使用することは、無償譲渡と見なされます。地域振興券交付事業では、振興券の譲渡行為は禁止されてゐます。したがって振興券での寄付・喜捨行為はできません。
※『神社新報』平成11年2月1日号より
こちらは今のGoToトラベルの事務局よりもはっきりきっぱり言ってくれているのでわかりやすいですね。これも時代でしょうか。
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