植戸万典です。古人もすなる日記といふものを、今人もしてみむとてするなり。
今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』は毎週おもしろく視てゐます。
大河ドラマで平安時代朝廷政治のあれやこれやが描かれるのを長年期待してゐましたので。制作陣はもとより考証の先生方の御尽力も感じられます。
ドラマ中でも「日記」には相当フォーカスされてゐますが、かういったことを書いてゐるこのブログやらSNSやらもある種の「日記」だと考へれば、わが国の日記文化もずいぶん息が長いものです。
平安貴族たちが日記を書き出すのも、官職に任じられたとか、人生の何らかの契機にあたってだとされてゐます。
今回のコラムは、そんな新生活のはじまりにあたっては今人も日記を始めてみるのも良いのではないか、といふ提案でもあります。
あと折角なので、今回は活用するコラムだけでなく、すべてを歴史的仮名遣ひで書いてみようと思ひます。
コラム「古人もすなる日記」
「古人もすなる日記」のオーディオコメンタリーめいたもの
お気づきのとほり、このコラムは敢へて作文のセオリーからは外れた書き方をしました。
第4段落(『紫式部日記』のくだり)は、中の1文が419字あります。原稿用紙1枚にはをさまらない分量で、学校などで教はる通常の作文では悪文とされるものです。
これは、一応さうする意図が明確にあってのものです(さうでなければこんな書きにくい書き方は誰もしないでせう)。
その文で描いた宴会でのそれら出来事がそれぞれほぼ同時進行的に起こってゐるやうに見せたかったり(句点で切ると文の順番がなんとなく時系列に感じられてしまふので)、だらだらと息継ぎなく続く一段落のボリュームで嫌な宴会の圧迫感を出したかったり、どこで区切ったらよいのかわかりづらい古文を現代文で擬似的に再現してみたかったり、等々。
さうした意図はある程度は伝はったのかな、と思ひます。
もっとも、真似はお勧めしません。やはり読みづらいことに変はりないので。
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