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アートとサイエンスの不思議な関係 <STEAM教育と量子的な未来>

この世界には様々なアートがある。

アートは「表現」を司っている。

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今あなたが見ている世界や、これまでのサイエンス(探究)の旅によって得たものを、自分なりの尺度を持って変換・表現(具体化)し、世界に表出させること。

絵画、音楽、演劇、お祭り、コトバ、文化、宗教、社会、法律、国家、人ー

これらは紛れもなく、「アート」によって生まれたものだ。(今書いているこのnoteの文章さえも)

キーワードは、情熱・個性・分断・具体化・執着(こだわり)・感性・物質(マクロ)・収縮

この世界には様々なサイエンスがある。

サイエンスは「探究」を司っている。

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まだ見ぬもの、理解が及ばないもの、世に普遍的に存在しているもの、そういったものを素直な心好奇な気持ちで、広く探究する旅。

生命、科学、読書、観察、実験、研究、旅行、インターネット

これらはサイエンス的なモノの一端だ。

キーワードは、素直・フラット・自由・開放・普遍性・好奇心・知性・抽象化・量子(ミクロ)・膨張

一流のアーティストは超一流のサイエンティスト。

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アートとサイエンスは表裏一体で相互に繋がり合う関係にある。
なぜなら、探究で得たものを消化していく過程にアートが生まれるからだ。
消化不良(アート不足)では新しいものを詰め込めない。
アートという消化行為によって生じる空腹が、次なる満腹を生み出す余地(スペース)を創造するように。(これは捉え方の違いでアートとサイエンスを逆にしても同じことが言える)

代表的なのは、イギリスのロックバンド・QUEEN

ギターのブライアン・メイは、世界有数の名門・インペリアル・カレッジ・ロンドンを卒業し、ミュージシャンとして成功を収めた後も天体物理学の研究を続け、60歳で天体物理学博士となっている。

彼らが生み出す創造性溢れる豊かな音楽は深きサイエンスの旅で発掘され、この世に表出したものともいえる。

一流のサイエンティストは、並外れた変態性(こだわり)を持つ。

一般的に、科学者や数学者はひたすら合理的に計算や実験と向き合っているイメージが強い。
彼らの緻密な行動のルーツは一体何なんだろうか?

そう、うんこなのである。

という冗談はさておき、何らかの強いこだわり執着を持っているのである。(ある意味、宗教に近い)
また、そのような偏った執着を持つが故に、出来ること・出来ないことの差が激しいケースも。

とある数学者が「日本だと事務仕事が多くて研究ができない」ってアメリカの大学に行っちゃったんですが、その方は漢字が書けなくて有名なんですよ。修士論文で提出した自分の名前が間違ってたそうです。
やっぱり数学に全部突っ込んでるから、他のことができなかったりするんですかね。

あらゆるものを抽象化し合理的に紐解いていくイメージとは裏腹に、数学者は何故そのような独特な感覚を持っているのだろうか。

それはやはり、アートとサイエンスは表裏一体で相互に繋がり合う関係にあるからだ。

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探究によって知り得たものを自分なりに消化していく過程にアートが生まれるならば、その探究はどこから来ている?(これは宇宙への問いかけにも近い)
それは元となるアート(表現)からだ。
アートの持つエネルギー(振動)が探究心に直結する。
無の状態から探究が生まれることはない。
夜空に浮かぶ星々の動きや光を見て、人類の好奇心が育まれていったように。

宇宙や現代物理学を題材として扱っている映画「インター・ステラー」にも同様のメッセージが隠されている。
子供(アート)を想う気持ちから壮大な探究の旅(サイエンス)がはじまり、その中で生まれた一つの回答(アート)が不思議な量子的現象に発展する。
これは、物理を突き詰めると新たな表現(アート)が生まれ、そこで得た表現(アート)が新たなサイエンスの扉を開くという螺旋状にループし実行と計算(記録)を繰り返しているこの世界の形の本質(DNA)を示唆している。

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それは時に、でさえもアートになる。
魅力的な異性(同性)が放つエネルギーが、「モテたい」(認められたい)という気持ちに変換され、求愛行動のために様々な探究をするのもサイエンスだし、メイクやファッションなどによってそれを表出させる行為も古来から続く原始的なアートだと言えるだろう。

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強く本能に訴えかけるアートが多い社会は、良くも悪くも人々の探究心を強くする素地があると言える。

現代物理学の礎を築き上げたアインシュタインも例外ではない。

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彼は天才科学者でありながら、優れたヴァイオリニストというアーティストな一面も持っていた。

数学(サイエンス)が、世に起こる自然現象を数字として抽象化し、数式によって世に具体化していく行為だとすれば、

音楽(アート)も、自身の経験や感情などを音符を用いて抽象化し、振動数(フーリエ変換)という形で世に具体化していく行為ということで、共通項が見出せるかもしれない。

サイエンスとアートが辿るプロセスは全く同じで、そこにあるのは視点の違いでしかないのだ。

数学も元を辿ればアートだし、アートも元を辿れば数学に行き着く。

天才的な数学者は、自らが書き上げた数式を見て美しいと感じることがあるという。

これは音楽家が、自ら生み出した音楽を聴いて美しいと感じる気持ちと、本質は同じなのではないだろうか。

STEAM教育とは

インターネットが普及し、急速に情報社会が形成されている現代で、様々な新しい教育方法が提示されはじめている。

そのひとつがSTEAM教育だ。

「STEAM教育」とは「科学(Science)」「技術(Technology)」「工学(Engineering)」 「芸術・教養(Art)」「数学(Mathematics )」の5つの頭文字からつくられた言葉です。
これら5つの観点を重要視し、21世紀型のスキルを養うことが求められます。

STEAM教育はなぜ生まれた?その時代的背景

いま私たちが毎日使っているインターネットやスマートフォンの発明は、情報のビッグバンを引き起こした。

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あらゆるヒトやモノ、情報が電子ビット(量子)化し、光ファイバー網によって世界中を光速で駆け巡り、質・量ともに、古典物理の法則や常識を覆しはじめたのだ。

インターネット以前の社会は、古典物理に則った物質的な社会を形成していた。

人々は主に化石燃料を使い、電車や飛行機で移動し、同じ場所・時間に集まり、特定の組織によって、紙など比較的質量の高い物質を用いてサイエンスアートを個別に繰り返していた。
社会システムは中央集権的で、資本主義的競争原理の元で局所効率を追い求める分業体制が敷かれ、都市部への一極集中が進み、サイエンスとアートも明確に区別されていた。(古典物理法則で動く世界の最終到達点)

電子化した世の中では、そのような古典物理世界が持っていた「重い法則」が大幅に軽くなってくる。

SNSやVRの存在を世に知らしめたマーク・ザッカーバーグ氏は「インターネットに繋がることは基本的人権」と唱え、世界中どこにいても誰もがネット接続できる環境を構築するために、衛星インターネット開発が活発化している。
そしてSDGsのような啓蒙活動によって、従来の物質的なハイカロリー消費社会を否定し、持続可能な社会を築き上げる価値観が世界に浸透しはじめた。
そして地球の裏側では、中央管理者が存在しない暗号通貨(ビットコイン)が法定通貨として採用され、価値交換の仕組みにも大きな変化が起き始めている。

STEAM教育で生まれる新たな価値観

STEAM教育の本質は、従来の暗記型教育や受験対策勉強のようなテンプレ的に決まったことを繰り返し狭く学ぶのではなく、学び(サイエンス)と表現(アート)を交互に繰り返していく点にある。

インプットとアウトプットの連続という点で従来の教育とベクトルは同じように見えるが、中身の性質はまるで違う。
例えば、1をそのまま1として返す伝言ゲームではなく、1を入力したらXとして取り出すイメージ。人のファンクション化=関数的存在。
代数XはA君という箱(ヒト)を介すると出力時にはYとなり、YはGにと無限に新たな変数が生産されていくが、全ての繋がりは結ばれ、元を辿ると絶対的な”1”が存在している。
これはブロックチェーンの仕組みにも似ている。

相対化(サイエンス)と絶対化(アート)の交錯的境地から自分と世界の繋がりをより深く立体的に理解するとともに、人生における選択的可能性が自然と広がり、そこで生まれる選択と変化を発展させていくような価値観が主流に。(新たな思想やテクノロジーが活発に生まれやすい素地)

つまり、これまでアインシュタインブライアン・メイなど、一部の人しか実現できていなかったアートとサイエンスが融合した生き方が、幅広く普及する。

また、わたしたちの「暮らし」も、アートとサイエンスの融合に伴い、選択と変化が容易になる可動産へ変化してゆく。

コンピューターも大きく変わる

人が変わったから、コンピューターも変わるのか。
コンピューターが変わったから、人も変わるのか。
どちらも正解と言えるほどに、技術革新と社会変化は同時に起こっている。

最近、「量子コンピューター」というフレーズをよく耳にすることがないだろうか?

これまでのコンピューターは、その原理を辿ると0か1のどちらかで表現(アート)されていた。

そこに確率可能性といった抽象的な概念(サイエンス)はほぼ無いに等しい。

量子コンピューターはこのアートとサイエンスを両立させる。

つまり、コンピューター自身もこのSTEAMのようなロジックで動くようになるのだ。

今はまだその意味がよく分からなくてもいい。
ただ、時代は間違いなくこのような方向に進んでいるし、理解する頃にはそれがすでに当たり前となっているだろう。

アートとサイエンスが交錯する時代へ。

Go to future.


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