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人と違うと不安になる人、人と同じだと不安になる人



朝8時半。
都内某駅付近。

駅で降りた人が一斉にこちらに向かってくる。
軍隊の一斉行進の様に一列にも並ばず
歩幅も違うが、それでも道路幅一面を人が覆い尽くす

それに向かって歩いている私は右端に寄り、相手が避けてくれるのを期待しながら歩く。
恐怖を感じながら。


一斉にこちらに向かって歩いている集団を前にすれば誰でも恐怖を感じる。

もしそんなものは感じない、と言う人は、おそらく「慣らされている」のだろう。


この「通勤行進」を見て
「私には無理だ」
と思った。
でもそこに敗北感はない。
この「行進」ができなくても自分にも、この行進ができる人達にも負けた気もしない。

むしろ私には「安心感」がある。

人と違ってることに「安心と快感」を覚えるのは、日本においては「変わってる」のかもしれない。

人と違うと「私大丈夫かな」と不安を感じる人の方が多い様に思うからだ。

人はそれぞれだ。
どちらが良いとか悪いでもなく、どちらが正しいとか間違ってるでもない。

「どちらが心地良いか」だけだ。

企業に数十年、月曜日から金曜日まで同じ時間に出勤し、お給料とボーナスをもらって自分、または家族を含めた自分の生活を守る。

それはそれで素晴らしいと思う。

そこには数えきれないどの忍耐や、不満もあるのだろう。
でもそれを我慢できるのだから、すごい。

私はキャリアを客室乗務員としてスタートしている。
シフト勤務
早朝深夜はタクシー通勤
土日祝日、正月、ゴールデンウイークはむしろ繁忙期
その代わりに平日休みがある。

その後講師を始めてからも、同じ時間に出勤すると言う経験はほとんどない。
それで不安に思うどころか、良かったとさえ思う。


正月休みが欲しいと思ったのも結婚当初だけで、それ以外は正月も案外つまらないものだと思い続けている。


一方で、絶対に土日は休みたいし、お正月に働くなんてとんでもない、と思う人たちが多いことも知っている。

でもこの「人と同じだと不安な人と安心な人」の両方がいるからこそ、世の中は成立している。

全員が「人と同じが良い」と思っていたら、お正月に旅行にも外食にも行けないのだから。

万一、「人と同じだと不安になる」のに「人と同じ」生き方をしている人は、不満が沸々と湧いてくるだろう。
自分に合った生き方をしてないから。
自分に嘘をつき続け、自分を騙し続けることができれば、問題はない。

もし「もう無理だ」と思うなら、少しづつ離れていけば良い。


自分の人生は自分のもの。
と言うことは自分の時間は自分のものだ。

だから私は自分のスケジュール管理は自分がする。
誰かに自分のスケジュールを管理される(同じ時間に出勤するなど)は嫌なのだ。

ただ、通勤行進の人たちは多数であることは間違いない。
多数派だと不安で居心地の悪さを感じる私と、多分安心な行進派の人たち。
自分が幸せなら、どちらでもいい。


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Hiromi.U
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