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全て目の前にある
「無理をしない」
というのを今年の抱負の一つに入れている。
自分が無理をしがちな人間だと気づいたから、無理をしても良いことはない、と思ったから、これを抱負にした。
では、無理って何か?
私が思うのは、自分が苦しいと感じることが「無理をしている」状態。
自分の限界の前でストップ。
8割くらいの力でストップすることが大事なんだな、と最近思う。
以前は、何事も全力投球が良いことだと思っていたし、実際にそうしていた。
でもそこまで無理をしなくても、明日に繰り越してもいいし、誰かに手伝ってもらってもいい。
自分の心と体に負担がない状態。それが無理していない、ということだと思っている。
以前は忙しい時には、本当に体が重く、それを解消するために鍼やカイロに通っていた。
最近は、そこまで忙しくないというより、忙しくしないように自分でコントロールしているからか、一切それが必要なくなった。
ただ、怖いのは「自分が無理していることに気づかない」ケース。
思考はクセなので、以前のクセが習慣となってついスケジュールを詰め込んだり、忙しいのが当たり前、となってしまっていたことがあった。
でも最近では、無理をしている時、無理していることに気づいてない時、
「胸が苦しい」と感じるようになった。
ちゃんと体がブレーキをかけてくれ、それに気づくようになったのだ。
おそらく以前からブレーキはかけてくれていたのだと思うが、それにすら気づかなかったのだ。
怖い。
無意識も
習慣も
思考も
全てときどき疑った方がいい。
今まで当たり前だと思っていたことが突然崩れることがある。
コロナはその一つだった思うが、例えば突然解雇されたり、嫌がらせを受けたり、というのは
「何かを変えた方がいい」
という知らせなのではないか、と最近は思っている。
つまり、一見ネガテイブに見えることは、何かのお知らせなのだと。
知り合いと話していてその人が言った言葉も、
突然起きるハプニングも、
もしかしたら全て何かの知らせであり、それに気づくのか、それをどう受け止めるのかによって、ヒントは至る所にあるのかもしれない。
何のヒントか?
自分がより望む方向に変わるヒントだ。
そう、私たちは幸せになるために生まれてきて、楽しむために生まれてきている。
それなのに以前は「楽しむ」ことに罪悪感があった。
苦労しなければ、努力しなければ、良いことなんて起こらない、と自分で自分に呪いをかけていた。
最近は「楽しむ」ことの意味が、ようやくわかるようになってきた。
楽しむためにも、ヒントは目の前にあり、全て用意ができているのだからそれに気づくだけの余裕を持つ。
それが「無理をしない」ことの、1番のメリットなのだ。
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