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誕生日がターニングポイント


当たり前ですが、毎年誕生日がやってきます。生きている限り。
「誕生日は、産んでくれた母親に感謝する日」
と聞いてから、母に感謝を伝えるようになりました。
いまだに、母からお金をもらっていますが(笑)、私も母の誕生日、母の日、お中元、お歳暮として、プレゼントやお金をあげています。ささやかな親孝行です。
これも、母が生きていてくれるからできることです。
実は、亡くなった父と誕生日が全く一緒だったので、もう誕生日を一緒に祝うことができないのが、本当に残念でなりません。私は生まれてからずっと父と一緒に誕生日を祝ってきたのですから・・・

もう一つ、誕生日の際に気にしていることがあります。
それは、「ターニングポイント」

人は、誕生日を境に流れが変わると聞いてから、意識しているからなのか、確かに変わっている気がします。
昨年は、誕生日のちょうど1ヶ月後に世界一周の旅に出ました。
その前の年は、あと一年くらいで今の仕事を辞めようと思いました。
その前も、その前も、何か始める時や何かを終わらせる時、また決断する時は、この誕生日付近にしています。これは意識してやっています。

今年は、これはたまたまですが、昨日あるお仕事が決まりました。
昨日お会いするということは先方が決めたことなのですが、「ああ、誕生日の前日だな」と思いました。
仕事が決まるかどうかは、全く気にしておらず、私は「できたらいいな」くらいの気持ちで、完全に流れに任せていました。
すると、その方が私の経歴を見て「明日がお誕生日なんですね」と気づいてくれました。
どこにも力を入れず、まあ会いに行ってみるか、くらいの気持ちで行ったのですが、流れとご縁で仕事が決まった感じです。

ここ最近、別のことを勉強していましたが、これはこれで続けていきます。私にとって大事なスキルの一つになったな、と思っています。しかし、一つのことを真剣に学んでいることで、すっかり忘れていたことに気づきました。

それは、「知識偏重になると、直感を忘れてしまう」ということです。
知識と直感、は理性と感性と言えると思います。
私は常々、理性と感性のバランスがいいひとでありたいと思ってきました。
しかし、どちらかというと感性優位で生きてきた人生で、そのおかげでいろんな経験ができたと思っています。

それなのに、勉強をしているとその感性を無視していることに気づいたのです。
なぜか気になるのに、無視する。後から「ああ、やっぱりあれはやるべきことだったんだ」とわかる、という感じです。
知識を詰め込むことばかりやっていても、感性は常に働き続けていて、何かしらのメッセージを送ってくれています。しかし、知識の方を信用してしまうんですね。根拠がないものを信じないようになってしまうのです。
でも、ハッと気付かされた出来事が続き、「ああ、しばらく感性を無視していたな」と気づいたのです。

昨日は、完全に感性のままに動いてお仕事が決まったという感じでしたが、「ああ、やっぱりこれでいいんだ」と思いました。

理性<感性

この仕組みが私の中に刻み込まれました。
だって、この方がうまくいくんですよ。力を入れずに、軽くいられる。

今日の予定を昨日まで決断できませんでしたが、今朝目覚めた途端に決めて、予約をしました。
心配も、力を入れることも、必要ない。
流れに任せて、フットワーク軽くいいなと思ったら行動してみる。
理由はあとづけでいい。理由が必要ならば、です。
それを思い出しました。

久しぶりに、感性を使ってするするっとうまく行った気がします。
その先にあるものは、きっと無駄にはならない。
今までの経験が無駄になっていないことを、私自身が一番よく知っています。
結局なんだかんだで、毎日「生き方」を学んでいる気がします。
これが、一番大きな学びかもしれません。
さて、ターニングポイント後の人生を楽しんでいきたいと思います。


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