私にとって「書くこと」の意味に気づいた日
実は、昨日毎日書いている「エッセイのようなもの」を書かなかった。
それには理由がある。
昨日から、九州旅の記事をアップしていて、「note一日一記事」のノルマは果たせていたからだ。
それなのに、なんとなく落ち着かない気分だった。
だからこそ、今日は絶対に旅行記事以外に「エッセイのようなもの」も書こうと思った。
この一日の「おやすみ」が、私に気づかせてくれた。
私にとっての「書くことの意味」を。
私にとって、書くことは「癒し」であり、「自分との対話」「自分を見つめ直す時」「気持ちの整理」「頭の整理」ができる、大事な時間だったのだ。
昨日書かなかったことで、もやもやと、書きたい欲が強くなっていた。
毎日やっていることを休むことで気づきがあるんだな、という発見にもなった。
書いている時は、誰とも話さず、せいぜい音楽を「流している」くらいで、集中しているのは自分の気持ちと考えだ。
気持ちを言語化する作業が、とても気持ちいいから、癒しだと感じる。
気持ちを言語化することで、「ああ、そういうことだったんだ」と思えるから、気持ちの整理になる。
言語化の途中で「ああ、そんなふうに私は考えていたんだな」と思うから、自分を見つめ直し、頭の整理ができるのだ。
昨日書きたかったのは、おそらく「旅の効果」について。
旅でチャージされ、チャージされた後の自分の変化について書きたかったのだ。
一言でいえば、「ガソリン満タン」状態なので、ものすごく元気がいいし、真っ直ぐに全速力で走れる感じだ。
その証拠に、二日連続で朝ウオーキングに行き、ご飯もしっかり作り、今朝は引き出しや、シンクの下の小物の整理をし、溜まっていた書類の整理をした。
そして仕上げは、徹底した掃除。拭き掃除までした。
気分はさらに上がっていて、もう怖いものはない、という感じ。
気分がいい。
気持ちがいい。
居心地がいい。
こんな状態になったのも、旅のおかげだ。
そして、今決意している。
小説を読み、小説を書き、エッセイのようなものを書き、旅に行き、旅記事を書く。
もう、これだけで生きていきたい、と。
他のものはいらない。
必要なことは最低限。人にお願いできることは、人にお願いする。
そうして、自分といつも向き合って、自分の心を大事に生きていく。
明日は春分の日。
その前日に、こんな高度1万メートルくらいの高さにまで上っている感じの気持ちでいられるなんて、感謝しかない。
この「エッセイのようなもの」を書いている間、私はずっと自分の心と対話をしていたことは間違いない。
書くことは、私にとって必要不可欠なものだと確認できたので、これからは1日1記事などにとらわれず、書きたいと思った時に書いていこう。