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思っても言わない



思っても言わないことが増えた。

その人が気づいていないこと
他の人がその人についてなんと言っていたのか
私がどう思っているのか、の否定的なこと
その他、おせっかいだなと思うこと


これらは、思っていても言わない。
気づいているし、「こうした方がいいのに」と思うことはあっても、家族でも、
友人でも相談されない限り言わない。

以前は言っていたが、今は言うのをやめた。

そんな自分の変化に、気づいた。

なぜ言わなくなったのだろうか。

言うことによって、相手が嫌な気分になる
言うことによって、それが必ずしも良い結果につながるとは限らないことを知ったから 自分が正しいわけではないし、正しさを相手が求めているわけではないこともあるし、正しさはそれぞれによって違うのだから、当たり前だ。


相手からの相談は、2種類ある。

話を聞いてほしい場合→アドバイスは求めていない。ただただ「わかるよ」と言って話を聞いて欲しいだけ。

アドバイス、解決策を求めている場合→この場合のみ、思っていることを言う。ただし「私だったらこうするけどね。でもあなたはあなたが決めるといいと思うよ」と言う一言を添える。


これがたとえ仕事であってもそうだ。

以前は生徒さん達に、全ていろんなことをアドバイスしていた。
しかし、ある時から「タイミングを見て」言うようになった。
その人にとって一番効果があるタイミングを見て、言うのだ。
さらに最近では、「わかっていても言わない。気づくまで信じて待つ」ようになった。
もちろん、人にもよる。具体的に言ってほしい、と言う性格の人には言うが、あまり言われたくないタイプの人には、「自分で気づくまで待つ」ようになった。

その結果、「案外自分で気づくものだ。たとえ時間がかかっても」と思っている。


そう、だから言わなくてもいいようだ。

長年の付き合いの人のことは、ただ話を聞いてほしいタイプの人なのか、アドバイスを求めて話をする人なのか、がわかっているのでやりやすい。
初対面や付き合いが浅い人の場合は、それがわからないのでしばらく様子を見るために、とりあえず気づいていても言わない。

じゃあ、逆の立場で考えて私はどうなのだろう?
私は、話を聞いてほしいし、アドバイスも欲しい、アドバイスはたとえ自分と真逆の考えであっても、大歓迎だ。
真逆の考えは、私に新たな視点を与えてくれるからだ。
もちろん、最終決定者は私。だから、どんな批判的な意見も聞ける。(言い方に、愛情があるかどうかはわかる。言う時には愛情が大事だ)
ただ、受け入れるかどうかは別問題。

誰もがこの、外側でいろんな意見を聞いて、内側で受け入れるかどうかを決める二重構造を持っていると、助かるのだけど、ほとんどの人はそうではないらしい。

批判的意見=自分を全面否定されたと受け取る

人が多いように思う。それが良いとか、悪いとかと言うことではない。そんな人が多い、と言う話だ。

もちろん、根拠のない誹謗中傷は全く別問題だ。
真実を知りもしないで、調べもしないで誹謗中傷をするのは法律問題だ。

いずれにしても、私があまり人と関わらずに生きていきたい、と言う傾向は変わらない。
お互いの信頼関係がある人としか、付き合っていきたくないと言うのはこれからも続くだろう。
余計なことに時間を使いたくない。
時間こそは有限なのだから。

気づいていても、思っていても言わない。
これは、これからもさらに続いていくだろう。


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