行きつけの美容師さんに日記のつけ方をアドバイスした話
先日いつもお世話になっている美容師さんと話をした際、日記の話になった。
私が書くことが好きで、という話をしていたとき、「日記くらいしか書いたことがない。いや、その日記さえも続いたことがない」と言われた。
この話は、他の人たちからも何度か聞いたことがある。
「だから私は三日坊主なの。継続力がないの」と話が続くことが多い。しかし、私はそれは違うな、といつも思っていたのでこの数年来の付き合いである美容師さんには言ってみることにした。
日記が続かない原因として考えられるのは、「大きな出来事、面白いことがあった時しか、日記は書けない、書いてはいけない、と思い込んでいるのではないですか」と。
すると「そう、そうなんですよ。私の毎日なんて、全然大したことなくて、毎日同じことばかりで。。。」と言う。実は、この視点が日記を続かなくさせているだけではなく、人生さえも退屈なものにしているんだと私は思っていた。
そこで、また伝えた。
「えー、そんなことはないでしょう。だってお客さんは毎日違うでしょうし、注文されることも違うだろうし、食べてるご飯だって違う。毎日同じって自分で思い込んでいるだけで、実は少しづつ違うんですよ」
「確かに。お客さん、毎日違いますね。あと、食事内容だけを書き残していくっていうのもありますよね」(確かレコーデイングダイエットだった)
「そうですよ。何か立派なことを書かないといけないなんてないし、日記なんて自分のために書くものだから、この日に何があったのかを忘れないために書くのだと思えばいいんですよ」
「そっかー。それならできるかも」と、少し自信を取り戻した様子だったので、さらに続けた。
「そうして、毎日日記を書く、という習慣を持つと、実は毎日「日記に何を書こうかな」と、題材を探すようになるんですよ。脳が勝手に。すると、今まで見逃していた、空の雲の形とか、お友達が着ていた洋服が素敵だったとか、あの食事は本当に美味しかったとか、色々と目につくようになるんですよ。すると、自然の美しさに癒され、ああ、自分は幸せなんだと気づいたりするので、自分の人生もいいものだな、って思えたりしますよ」と。
これが言いたかったのだ。
人は、ほとんどの人が有名にでもならない限り、大した人生を生きていないと思っている。
SNS全盛時代においては、「バズる」ことが目的のようになって、バズっている人がすごいという風潮がある。しかし、ある記事で読んだが、「本物は目立たない」のだと私は思っている。
もちろん、何かを売るためには目立たないと売れないのだろうが、たとえば百貨店の時計コーナーにいたベテランの販売員のおじさんは、電池替えでもっていった時計を見るなり、その時計の種類も、さらに替えたいと思っていたベルトの相談にも、余計なことを説明しなくても、そのサイズ、色を的確にアドバイスしてくれた。時計のプロだと思った。また、この美容師のお姉さん自身もこちらの要望を言うだけで、見事に毎回髪をいい風にしてくれる。
決して目立とうとしている人ではないが、予約を取るのも大変なことも多いので、多くの顧客がいるのだろうとわかる。そんな本物の人たちが、毎日同じことの繰り返しだと思っているのは、実は思い込みで、日記や何かしらのアウトプットをするようになることで、眠っていたアンテナが立って、日記に書けるものを探し始めることで、人生が、そして生きていることが、地球に生まれたことが素晴らしいと思えるようになると思っている。
私は特に、書くことで癒されていると思っているが、あまり書くことが好きではない人も、書いてみるといいと思う。立派なことなんて書かなくていい。
毎日同じことを書いてもいい。でも、きっと毎日同じことを書くことはできないはずだ。だって、毎日は微妙に違っているからだ。季節だって、温度だって、天気だって違う。その違いに気づいていない人が多いだけなのだ。
私は朝陽と夕陽も季節によって違うと感じている。夏の日差しはやっぱり強いし、太陽も力強い。しかし、今の季節は太陽は柔らかく、日差しだって弱い。
あとは好みの問題で、どの季節が好きなのかも、毎日太陽を、季節を感じながら生きていれば、自ずとわかってくる。
毎日に潜んでいる小さな発見が幸せを運んでくる。
それを経験できるのが日記をつける、ということなのだ、と言いたかったのだ。
学校で日記をつけることを、先生から言われた人は多いだろう。
しかし、「日記の効用」について教えてもらった人は少ないのではないだろうか。
私もそうだった。しかし、私は気がついただけだ。実際に書いてみて、だんだんと自分のアンテナが立っていき、あらゆることを発見するようになった自分に。
うまく伝わってくれているといいな、と思っている。