プロとアマチュアの境目が崩れ始めた
今日は少し真面目で、長文になったので、興味がある方だけ読んでください。
12月の初め。私は、文フリ東京の会場である東京ビッグサイトにいた。
書くことを仕事にしたい、と、27年間続けたスクールを閉じて10ヶ月。
このアマチュア、いわゆる同人誌的なものを作っている人たちはもちろん、プロの作家の方々も参加して自分たちの作品を直接販売するという、なんとも面白いイベントに、興味を持たないはずはない。それも偶然出張が入っていたという、「絶対に行きなさい」とまるで神様が言っているような気さえしていた。
当日の天気は快晴。長蛇の列の中の一人として、周囲をさりげなく観察していた。
いかにも、高等遊民っぽい人。
普通のサラリーマンぽい人。
出版関係の人なのか、そんな話を周囲に聞こえるように言う人、など、普通と言えば普通だが、やっぱりどこか普通ではない雰囲気が漂っていた。
ようやく入場すると、すでにみんな予習済みなのか、自分のお気に入りの作家のコーナーを目指して突撃し始める。私は全く予習が十分ではなく、文フリのサイトをスマホで開き、調べ、受付の人に場所を教えてもらい、プロの作家さんのコーナーにようやくたどり着いた。
プロの作家、高殿 円さんがいるのかな、という淡い期待を抱いて。
そのコーナーには、出版社を通さず、自分で印刷に出した「冊子」のようなものが並んでいた。
早速面白そうだな、と思った2冊を手に取り、受付の人にお金を払う。その背後には椅子に座った女性がいて、もしかしてこの人が高殿 円さんではないだろうか、と思い、支払いを済ませると「あのー、後ろにいらっしゃるのは高殿先生ですか」と聞く。これも結構勇気が必要だった。「ああ、そうです」と、受付の女性が言う。すると「高殿」と呼び捨てにして、後ろの女性に声をかけると、「はい。高殿です」ととても聡明そうで、美しい女性が顔を上げ、答えてくれた。
「私、大ファンで、特に「上流階級」は、ボロボロになっても読み返しています」というと、「ありがとうございます。こんな感じで(作家)やってます」と言われ、「プロ作家」というイメージよりずっと接しやすい感じがした。知らない人が見れば、アマチュアの人だと思ってしまうかもしれないほどだった。作家とファンの距離が、こんなに近いのはとても新鮮な気がした。
作家の人との接点といえば、書店に作家先生が来て、本を買うとその本にサインをしてもらえるというものだと思っていた。
しかし、文フリでは出版社を介していない。
出版社がなくても、作家とファンが直接つながり、実際の収益につながっている場面を目の当たりにしたのだ。
この高殿先生の隣に、同じくプロ作家の方がいて、私はそちらの本も購入した。そして最近この方がnoteで文フリについて書いていた記事を読んで以来、「プロとアマチュアの境界線がなくなっている」と思い続けていたので、それを書いてみようと思っている。
一般的にプロの作家とは、商業出版、すなわち出版社が作家の作品を認め、全ての費用を持って出版し、プロモーションまでしてもらえるような人、だろう。本屋にその人の本が並び、Amazonでも注文ができる。売れ行きが良ければ、ベストセラーになり、重版がかかり、単行本化され、次から次へと作品を書いてほしいという依頼がやってきて、作家業だけで生きていくことができる人、がプロの作家だろう。
つまり、私も2024年に挑戦を始めたが、まずは出版社の公募などに出して、自分の才能を認めてもらうところから始まる。
と思っていた。
もう一つプロというものの解釈がある、と思っている。
それは「お金をもらっている人」イコール「プロ」という認識だ。
そういう意味では、あの文フリにいた「商業出版はしていない作家」の人たちが、一冊でも自分の本を売ることができたら、それは立派に「プロ作家」なのではないか、という考え方だ。
文フリに参加したプロ作家の方が書いていた記事にも同様のことが書かれていた。
「本が売れない時代、と言われて久しいが、文フリの参加者、そして来場者たちの熱気を見ていると、本が売れないのは本当なんだろうか、と思ってしまう」のようなことが書かれていたが、私もあの場所にいて、「えー、本読まないんじゃないの?本って売れないんじゃないの?でもこれだけの人が書いていて、さらにこれだけの人が買う気満々でやってくるのはなんで?」と、熱気と人混みの中で考えていたからだ。
そして最近、プロとアマチュアの境目がなくなったと感じることがある。
私は朝起きるとすぐに、このnoteを書くのだが、書き終えると他のnoterさんの記事を読む。中には初めて読む方もいて、じっくりとその方の記事をいくつも読んでしまっていることがある。「うまいなー」と思う人、共感できる人は、今後も読みたいと思うので、すかさずフォローをする。「この人のこの専門性と知識、そしてこの文章のうまさなら、プロ作家になっててもおかしくないだろう」と思う人たちもかなりいる。
でも、世間では「アマチュア」なのだ。
知識が豊富、文章が上手い、ストーリーが面白い、などのプロ作家として必要そうな条件が整っていたら簡単に作家デビューできそうだが、そうではないらしい。ただ、「ああ、この人が書いた記事はお金を払ってでも読みたい」と思って実際に有料記事を買えば、その時点で、「お金がもらえたらプロ」という解釈では、この人は「プロ」となる。
つまり、出版社と言う組織が認めなくても、ファンという個人と直接つながり、お金を払ってくれる人たちがいれば、十分にプロ作家になれる時代に生きているのだ。
いまさらなんだ、そんなことはとっくに知ってたぞ、と言う人もいるかもしれないが、私はこの文フリに参加するまでは、「プロになるために小説を書く」すなわち「出版社の編集者に認めてもらえることがプロになる方法だ」と思っていたが、「自分で書いた作品を好む人たちがファンとなり、そのファンの人たちと直接つながっていれば、自分が書いたもので生活していくことが可能な時代なんだ、とわかったことは、嬉しい大きな発見だった。
これは時代が変化し、プロの定義が変化した、という簡単結論ではない。
出版社という権威あるものが認めて、世の中に出すというパターンの存在が薄れ、作家とファンが直接つながり、そこで売れていけば、出版社からオファーがくるという、既存の仕組みの崩壊の始まりだ。
これは、音楽の世界ではずっと前からあったようで、「インデイーズ」と言われる、いわゆるレコード会社を介さず、ファンが直接CDを買い、ライブに行く、という人たちはたくさんいるし、レコード会社から「うちの会社からCDを出しませんか」と言われても、断るミュージシャンもいるという。
考えてみれば、作り手とファンさえいれば、十分にお金は回るし、本来それだけでいいはずなのだ。既存のものが崩れ去っていくのを、私たちは日々目の当たりにしているが、小説や本さえもそんな時代にあるということを教えてくれたのが、文フリだった。
SNSを初め、便利なものが次々に出てくる時代。それらをうまく活用していけば、アマチュアがプロを超える日も近いのかもしれない。大事なのは、自分という個性に自信を持ち、それを存分に発揮した作品を作ること。ニッチな作品であっても、その作品と作家には、ニッチなファンがつく、という、考えてみれば、当たり前のことが当たり前に行われる時代になったのだ。
本の世界だけではなく、2020年以降、時代の変化はめざましい。当たり前だと思っていたことが、気づいたら逆転していたり、当たり前ではなくなっていたりする。だからこそ、興味があるものにはどんどん参加してみて、実際に自分の目でみて、感じていれば、変化が生み出すチャンスに乗っていけるのかもしれない、と思っている。
時代の変化に目を向けると、案外面白いかもしれません。
小さいものが大きなものを超え、
一般人が権力に勝ち、
固定されていたものが動き始める。
そんな時代の真っ只中に、私たちは生きているのかもしれないのですから。
変化はチャンス。
2025年はさらに本格的に作家活動に専念したいと思います。
と、最後は2025年への抱負で終わるとは、書く前には想像をしていませんでした。