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理由なき衝動に突き動かされた旅①

理由はわからないけど、どうしても行きたいと思う場所があった。

きっかけはあった。
ある作家の方が、若い頃に行った場所として取り上げてた旅行記を読んだことで、興味を持っていた。

調べてみると、乗り換えもすれば5時間かかる国内で、現地ではレンタカー以外にほとんど交通機関がない場所には、誰でも行くのをためらう。
私もその一人だった。

ただいつまで経っても、この場所が頭の片隅から離れない。
そこでまず、貯まっていたマイルを使って行けないものか、調べてみた。
思ったよりマイルが少なくても行けることがわかったが、気にいる宿がほぼ満室で、予約ができない。
ネット予約ではなくメールでの問い合わせだったことも、今までの旅とは勝手が違っていて、この旅を躊躇う、もう一つの理由になった。

それでも、どうしてもこの地に行きたい、と言う情熱は消えなかった。
視点を変えてエアビーで調べてみたところ、清潔、綺麗で、素敵な場所を見つけた。
ここも人気の宿で、なかなか取れないらしいが、私が予定していた日程だけは空いていた。ようやくGoサインが出た、と思った。

出発の一週間前くらいから、楽しみで仕方がなかった。
前日かなりハードな仕事をしていたり、その前には20万字もの
作品を公募に出したのに、当日は朝が弱い私が、目覚ましが鳴る前に目が覚め、
7時には家を出ていた。
その足取りは軽く、スキップしたいくらいにワクワクし、顔はニヤニヤしていたと思う。

旅のおともは決めていた。

リュック1つ
ショルダーバッグ1つ
文庫本1冊
いずれも、去年世界一周旅を一緒にした仲間たちだ。
すでに夏の気候の場所には、Tシャツが数枚あればいい。
念の為に、ビーチサンダルと水着も入れた。

フライトは、

JTA  53便  9:30発
沖縄那覇行き

RAC  725便 12:25発
与那国行き

だ。

那覇空港からRAC(琉球エアコミューター)のプロペラ機のプロペラを見た瞬間、なぜか涙が出た。


海は蒼い


RACの飛行機DHC8ーQ400CC型機


まるで自分のTシャツの下にもう一人の自分がいて、「どうしても行きたかったのよ」と言ってるように感じた。
まるで自分の心を満たすために、この旅を決めたように思えた。
その他の理由は、この時点では全く思いつかなかった。

離陸後、たった一人で乗務している、南の人らしいくっきりした目鼻立ちの美しい客室乗務員にシークワーサージュースをもらい、ところどころに白い雲が浮かぶ薄いブルーの空を見下ろす。


シークアーサージュース

旅のおともに持ってきた、山本史緒さんの「プラナリア」を読みながら、時折周囲の乗客を盗み見る。
前方の上クラスの席は空席ばかりで、6列目以降には、観光客、ビジネス客、そして地元の人らしき30人ほどが乗っていた。
プロペラ機には「~でさあ」「~だからさ」という標準語が、これほど似合わないものか、と思っているうちに、はしゃぎすぎた子供が眠るように寝落ちていた。

着陸直前かなり揺れた後、大型機では考えられないほどの大きな衝撃と共に着陸した。
これは決して機長の腕が悪いわけではないことを、知っている。
調べてみれば与那国空港の滑走路全長は、2000メートルあるのに、着陸後
きついブレーキをかけ止まった飛行機は、同じ滑走路でUターンをした。
「滑走路」はあるが、「TAXIWAY」(誘導路)がないのだ。
そのため、同じ滑走路でぐるっと一回転するしかないので、ブレーキを効かせるために着陸時の衝撃が必要なのだったのだろう。

頭上に気をつけながらラタップを降り始めた瞬間、湿気を含んだ風が南に来たことを知らせてくれた。空港の向こうには、ほぼ何もなく水平線が見える。
一階建のターミナルの白い建物に、「与那国空港」と赤字で書いてある看板は建物の風合いとよく似合っていて、以前訪れた久米島空港を思い出させてくれた。


与那国空港


空港の向こうには海しかない
南の島に合うプロペラ機だ

与那国での移動手段は、レンタカー、バス(本数はかなり限られている)、バイク、電動自転車だと調べていた。
バイクは、予約の段階で「荷物を持ったままだと、慣れていない人は危ない」と言って、予約をさせてもらえなかった。
レンタカーは予算オーバー。残ったのは、電動自転車だった。
電話して聞いてみると、「一周回れますよ」と簡単に言われたので、3泊4日分を予約したのだが、甘くみすぎていた、と後から知ることとなる。
空港で電動自転車を受け取り、注意事項をいくつか教えてもらった。

・途中、自動販売機などはないから、遠出をするときは、飲み物を買っていくこと。
・日差しが強いので、帽子、長袖で乗ること。
・「テキサスゲート」に差し掛かったら、自転車を押して進むこと。

等、今考えるととても大事なアドバイスばかりだった。

電動自転車で走り始めてすぐにわかった。
アップダウンがかなり激しい島だと言うことが。
いくら電動だと言っても、急な坂を上がる時はきつい。
こんなはずじゃなかった、と早くも後悔の念が湧き上がった。
しかし、すでにお金を前払いしていて、9000円の元は取るしかない。

そこで、のぼり坂に差し掛かった時の自分への励ましの言葉を決めた。
それは、「帰りは楽だから」。
観光に来たとは思えない「トレーニング感」をすでに感じ始めていた。
一方で、下り坂は相当なスピードが出るので、時折ブレーキをかけながら進む。
ただ、車はほとんど走っておらず、車道を堂々と走っていても問題はない。
当然信号もなく、おそらく私が出会った信号機は、町役場近くの一台だけだ。
Googleマップをオンにして、迷いながら汗だくでたどり着いたのは、初めてエアビーで予約した、民泊の一軒家だ。


玄関からの景色



まだ建物も新しく、中は清潔で、ゴミ箱も必要な場所に適宜置いてあり、
生活する人の視点での配慮がなされている。
食器、フライパンや鍋、お箸類、簡単な調味料など、自炊をするのも気持ちいい
キッチンもある。
洗濯は、乾燥機は別になっているが、部屋干しもできるようになっているし、外に干すこともできる。
リラックスできる簡単な椅子に、オットマンもあり、「暮らすように旅する」が叶う場所だった。
テラスもあり、そこに座ると目の前には、南国の濃い緑の木々が見える。
普段マンション暮らしの身には、これだけで癒される。

シャワーを浴びると、お腹が空いてきた。サイドテーブルに置いてある、旅のしおりや、手作りの店案内を見て、早速歩いて行ってみた。
周囲は民家ばかりで、まるでインドネシアのバリの風景を思い出させる、オレンジ色の屋根の平屋の建物が目立つ。
コンクリートが古くなっていて廃墟ではないか、と思う家も多くあり、開発されていない島であることがすぐにわかった。
歩いていても誰ともすれ違わない。それがまた、「離島に来たんだな」と思わせてくれる。


オレンジの屋根
新しく家が立つのだろうか


5分ほど歩くと、周囲の建物とは違う青いコンクリートの建物があり、とりあえずなんでも置いてありそうな「商店」のサッシのドアを開けた。

野菜
惣菜
飲み物
お弁当
ヨーグルト

お菓子
ラーメン
インスタント食品
缶詰

等、とりあえずなんでも置いてある。
3泊という日数に相応しいだけの量を想像しながら、料理を考える。
八重山そば
もやし
ねぎ
プチトマト
アップルジュース
手作りおにぎり
手作り台湾カステラ
インスタント袋うどん
魚のすり身の天ぷら

を購入して、3500円。
これで、2日は十分に食べることができた。

早速八重山そばを使って、焼きそばを作り遅い昼ごはんとした。



塩焼きそば


お腹が膨らんでくると、ようやく今日これからの予定、そして明日の予定と天気を
調べて、計画を始めた。
元々旅の予定を細かく決めることがない。なぜなら、現地に行って初めてわかることがたくさんあるし、天気次第では予定は変更になるからだ。
明日はバスで行きたい場所に行けそうだとわかると、今日これからどうしようか、と考えた。時間は16時になっていた。

とりあえず周辺を散策してみようと家を出ると、すぐ目の前にパンとカフェと書いているのぼりを見つけた。
メニューは外に書いていないが、カフェとあるのでそっとドアを開けて「ひとりでお茶だけでも大丈夫ですか」と聞いてみる。「どうぞ」と男性スタッフの人に言われ中に入ってみた。
この時はまだ、これから聞く話で、与那国島を知ることになるとは思ってもいなかった。

私は珍しい「アザミジュース」を注文した。注文する前から味の想像をしていたが、その想像通りの味がした。
一言で言えば、葉っぱの味がするジュースを飲みながら、スマホを忘れてきたことに気づいた。
仕方がないので、二階席もあるこの広いカフェというより、レストランをぐるりと見渡す。
そのうちに中断していた、店主とその息子らしき人と、都会から来た女性観光客らしき人との会話が再開した。
他に客はいないので、彼らの話がまる聞こえとなる。

「私たちは広島から、この子が生まれた少ししてから移住してきたの」
「私は、東京では全然友達と呼べる人がいなかったから、ここで働いていてだんだんと変わっていったの」
ということは、この人は今は移住者なのか、とわかった。
そして、この店は以前はスナックだったと言う話が出てきて、店の入り口近くにカウンターと止まり木のような椅子が置いてあることに納得する。

「ここはすごくいいところだけど、まだまだ観光地としてオシャレに、魅力がある島にできると思う」と、女性は言う。それは私もわかる、と思ったが、観光地化された島にはあまり興味がないので、私はこのままがいいな、と思っていると、店主たち2人とも「ふーん」という様子で、全く乗り気にならない。

ここで気づいたのだ。
私たち街に住む人間は、「開発すると儲かる」イコール生活向上につながる、という図式が頭の中に常にある。
だから、多少無理しても開発し、オシャレな街にしていくことがいいことだと信じている。
しかし、この島の人たちは「お金では動かない」人たちなのだ。
開発すると、人が増える。自分たちが働かないといけなくなれば、忙しくなり、今の生活を維持できない。
外から人がやってくれば、人口1700人の島のペースが狂ってしまう。
ゴミ問題や、マナー、もしかすると犯罪なども起きやすくなるかもしれない。
今は、ほとんど島の人同士が知り合いという環境だからこそ、派出所はあっても、おそらく犯罪率は低いだろう。

オーバーツーリズムの問題が叫ばれているが、この島の人たちはそんなこともちゃんとわかっているのかもしれない。
わたし自身、お金を人生の中心にして生きていたことがあるから、この女性が言うことは「街の人間が言うこと」なのがわかる。
しかし、場所が変われば常識が変わる。
ここでは、ビジネスにシャカリキになる住民はいない、と、彼らの話を聞いたことで、ここの土地の人たちのことがわかったような気がしたし、それを喜んでいる自分がいることもわかった。

私は、自分が持っている価値観や常識が壊れることを、どこかで期待して旅に出ているらしいのだ。
こうした「違い」に出会うと、嬉しくなるのは、おそらく「自分の世界が広がる」と感じるからだろう。

まさか、この暇つぶしのように来たカフェで、全く相手にもしてもらえない環境で、この島の人たちを理解できるなんて、思ってもいなかったが、こうしたハプニングのような出来事があるから、旅は楽しいのだ。

夕陽を見に電動自転車に乗り、海に行ってみたが、雲がかかって綺麗には見えなかった。
それでも、与那国島のことは少しだけ理解できたような気がしていた。



すぐ近くにある船置き場
以前はここから船が出ていたらしい

続く


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