過去は変えられないが、意味づけは変えられる


この言葉は、数人の別々の人たちが言っていた。
当初は「ふーん、なるほどね」
くらいで読んでいたが、日に日に実感するようになった言葉だ。


少し前に「仕事関連での謂れのない嫌がらせ」を受けたことを書いた。
その時は「打たれる杭なら、飛び出た杭になってやれ」と思って、さらに仕事の幅を広げようと試みた。
一定の効果はあったが、その後別の方向から「ストップ」がかかった。
それは嫌がらせでもなんでもなく、やむを得ないことだったのだが、
そこで私は「はっ」と気づいた。


そうか、手放すなら今がチャンスだと。


あの嫌がらせの意味を自分なりに解釈したつもりだったが、
実は私が手放せるようにあの、今までに受けた事がない嫌がらせがあったのだ。
そうとはわかっておらず、突っ走る方向に行ったが、実は「手放し」のサインだった事に気づいた。


もちろんこの意味づけが正しいのかは分からない。
そのうち結果は出るだろうが、結局こう言う事だ。


「嫌がらせを受けた事実は変わらないが、その意味づけは変えられるし、あれはむしろ何かに気づくサインであった」
と言う事だ。

意味づけは本人がする。
だから、勝手に意味づけは変えられる。
自分にとって都合の良いように変えられる。

私は意味付けする時に気をつけようと思う事がある。

それは
「これは何かのサイン」
と考え
「きっとより良い方向に向かわせるための出来事だ」
と信じることだ。

私が突然のストップの出来事の意味づけを変え、
手放しをすーっと決断したことで、手放し後の自分の姿が具体的に見え、
それが後押しされている気がする。

もちろんその結果は、まだ確定ではないが、これから明らかになるだろう。
そして、その結果がどうであれ、その意味づけをするのはまたしても私自身であり、そこで何かしらの判断をするだろう。

過去を悔やむより、あれはこんな意味があった、と意味づける方が前に進みやすい。

大事なことは、その時に感じたことを大事にすること。

嫌なことは嫌。

感動はたっぷり味わう

喜びは、思いっきり喜ぶ。

結局それを繰り返していく事で、一生は過ぎていく。



サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!