スマートさ、なんていらない
スマートさ、憧れます。
誰でも憧れると思います。
私が客室乗務員時代には、先輩から毎回のように言われていました。
「スマートにお仕事をしてください」と。
最初は、意味が全くわかりませんでした。
何度か言われているうちに、「優雅に、そつなく、綺麗な動作で、どこから誰がみても、かっこいい所作で」と言う意味なんだと気づきました。
そこで、先輩方の所作を盗み見するようになりました。
すると、確かに美しいのです。
立っているときに、かかとが常に揃えられている。
お客様に物をお渡しする時には、4本の指が揃えられている。
そして、動作は常にゆっくりと丁寧に。
歩くときは、足音を立てず、優雅にお客様とアイコンタクトを取りながら歩く。
これらを、不器用ながら一つ一つ真似していきました。
指先まで気にするようにしました。
すると段々と、「スマートにお仕事をしてください」と言われなくなりました。
それがベースとなり、今マナー講師のお仕事をさせていただいているのだと思います。
実はもう一つ先輩方から言われ続けてきた言葉があります。
それは
「一生懸命さはわかるんだけど」
と言う言葉でした。
「一生懸命さはわかるんだけど、一生懸命にやっていればいいと言う物ではありません。もっとスマートにお仕事をしてください」
と言う言葉を、よく言われました。
毎日先輩方からコテンパンに、そしてあらゆることを注意され、ひどく傷ついた心は、少しだけでも褒められているのかもしれない言葉を、決して見逃しませんでした。
「一生懸命さはわかるんだけど」
つまり、先輩方は今の時代にも必要な「褒めて叱る」を実践していたのだとわかります。
一方的に叱るのではなく、ちゃんと認めるべきところは認めると言うことを実践してくださっていたのだとわかります。
そして数十年の時が経ち、20代の学生や社会人の方々を教えていて思うことがあります。
それは「スマートさなんていらない」です。
私がかつて散々先輩方に言われてきた「スマートさ」は、確かに今の若い人たちは身につけています。
もしかすると、「スマートさ」を演じているのかもしれません。
確かに失敗もしなさそうに見えるし、そつなく何でもこなしているように見えます。
しかし、これを面接で実施すると、意外とまずいことが多いのです。
さらに、新社会人としてスタートした時も、まずいことが多いのです。
スマートさとは、失敗しないことだとすると、
1 失敗しそうなことは最初から挑戦しない
2 失敗しそうなことは事前準備に時間をかけすぎて、間に合わない
3 失敗してしまったら、無かったことにしようとするから隠したり、反省したりしない
と言うのが、新人にとってとてもダメなことだと、大人はわかるでしょう。
私は、スマートさが足りなかったけど、一生懸命さがあったから、先輩たちはドジでのろまなカメの私を見捨てなかったのだと、今はわかります。
「人は、一生懸命な人を応援したくなる生き物だから」
この人間の習性を知っていると、かなり人生楽に生きていけると思っています。
つまり、何でも一生懸命な人は、応援されやすい、と言うことです。
いろんなことを教えてもらえるし、気にかけてもらえる。
新人のうち、学生のうちに大事なのは、スマートさよりも一生懸命さなのではないか、と、自分の経験と現在の若い人たちの様子を見ていて思うのです。
「ちょっと聞いてくれた方が早かったのに」
「自分で調べると時間がかかるよ」
「少しくらい小言を言われても、頼った方が結局面倒をみてもらえるのに」
と、端から見ていて思うことがあります。
おばさんの余計なお世話であり、お節介なのかもしれないけど、スマートさは大人になれば経験も増え、慣れていき、自然とスマートになるもの。
だからこそ、若い時にカッコ悪い自分を曝け出してでも、どんどん吸収し、中身を豊かにする方が、結局は「本物のスマートさ」に、早くたどり着くのではないか、と思ったある日でした。