わからなくなった時は、何もせず声を聞くだけ
今日はちょっとスピリチュアル的な話になるので興味がある方だけご覧ください。
危機感から始まった行動によって世界が広がった経験は何度もある。
学生時代に音楽の道で生きていこうと思っていたのに、その業界に足を突っ込んでみたら自分の性格とは合わないな、と感じ、長年続けてきたものを手放した。
当然危機感しかない。どうやって生きていこう、と思った時にそれまでなせか私の周囲に客室乗務員になりたい、実際に合格したと言う人たちが数名いて、知っていたからこそそちらに足を向けてみたら、後ろからガンガンと押されるように勉強し、試験に合格した。
生きていく手段を手に入れた瞬間だった。
退職後エアラインスクールと子供英会話の講師として職を得て、小さなスクールだったからだろう。
教務主任、営業、研修、授業をすべてこなすようになり、規模拡大とともに学長となった。
望んでいたわけではなく、正社員が私しかいなかったからだ。
しかし、それが原因でやがて経営困難となったオーナーがそれまでの経営方針を変更した結果、私はもうついていけないと思い退職を考えていた時、向こうから解雇された。
ほっとしたが、これからどうやって生きていこうと思った。
目にした求人に応募すると、「講師」「先生」としての面接はすべて通過し、「いつから来れますか」と言われたものの、それ以外の営業などは書類の段階ですべて落とされた。
エアライン専門学校の面接で、質問されたことでわかったことがあった。
「高校への営業もやってもらいます」「航空会社への営業、研修に送り込むための事前研修もやっていただきます」「授業カリキュラムも作成していただきます」など聞かれること全てを経験していたことに気づき、「もしかすると私は自分でスクールを開けるのではないか」と気付いた。
自宅に遊びにきていた前のスクールの生徒さんたちに「もし私がスクールをやるとしたら、きますか」とダイレクトに聞いてみたら、「はい!」と即答してくれ、そこから自分でスクールを開くことになった。
勿論苦労はたくさんあった。その頃のことはこちらに書いているので、お時間ある方、興味がある方はご覧ください。
私が個人事業主になったお話
その1
その2
その3
最終回
ここまで書いてきて、私の人生、ほぼ危機感からしかスタートしていないことがわかる笑
その「危機」がやってきてしまうのは、運がいいのか悪いのかはわからないが、「波瀾万丈な人生がいい」と20代に漠然と思っていたことが叶っているのだとすると、「願えば叶う」は、実際に叶っているらしい。
そして今回もある危機感を感じ行動し、情報を集め、人に会い続けた今、また背中を押されているように思う。
初めての経験ばかりなので、怖い気持ちは当然あるのだが、これを超えるとまた違う世界へ行けるというワクワク感もある。
不安と期待がセットなのだ。
昨年の世界一周の時もそうだった。不安を情報や人の話で解消し、出発当日は空港で「こんなにワクワクすることがまだ残っていたんだ」とびっくりするほど、遠足の当日の朝を迎えた子どものような気持ちだった。
それでも迷うこともある。
そんな時は、情報収集も一旦やめ、じーっと、ぼーっとする時間を作る。
そうすることで、声が聞こえてくるから。
そうすることで、ヒントが降ってくるから。
それを待てばいい。
人生は自分が設計してきているのだろうが、自分で作成した設計図は見せられていない、または生まれてくる時に忘れてしまっているので、わからない。
だが、ささやかな記憶が声となって聞こえてきて、その設計図に必要なことが起きる。違いはあれど、おそらく私たちはみんなそうなのだろうと、私は思っている。
ピンチはチャンス。
危機感を感じることがやってくるということは、ピンチ。
それによって行動し、解決していくとチャンス。
危機はいつ、どんな形でやってくるかはわからないが、わからないからこそ普段は平穏な気持ちでいられるのかもしれない。
今日は少しのんびりして、声を聞こう。
ざわざわしていた心を落ち着かせ、心の中にある湖が静まるように。
そこから決断したことはきっと設計図通りで、動けば全てスムーズにいくことを私は経験から知っている。
2024年も5ヶ月が終わろうとしている。
年初にも大きな決断をしたつもりだったが、まさかここに来てこんな流れになるなんて全く想像していなかったのだけど、これも設計図通りだとしたら「なるようになる」と言うことなのかもしれない。
そう思うと、少し肩に入っていた力が抜けた気がした。