復興支援活動を続けるということ②~ニーズは変わる、しかしなくならない~
植草学園大学名誉教授 全日本特別支援教育研究連盟理事長
名古屋 恒彦
ニーズは変わる、しかしなくならない
東日本大震災津波における復興ボランティアの初期の主な活動は、いわゆる泥上げ(家屋の床下・床上や道路の側溝などに堆積した汚泥の除去)やがれきの撤去といった体力を要求される仕事でした。筆者は主に岩手県宮古市で活動しましたが、内陸にある盛岡市から借り上げバスで学生とともに月に何度も片道約2時間の道のりを通い、時には現地のボランティアセンターに宿泊しながら、この活動に従事しました。
時が過ぎ、これらの活動が終息していく中で、いつしか「復興ボランティアといえば力仕事」という意識が定着し、活動がなくなっていくという焦りにかられました。もちろん泥上げなどの仕事が終了することは望ましいことなのですが、その一方で、沿岸にいれば、説明はできないものの復興ボランティアの終結などとは到底いえない状況が体感されていました。その思いが、力仕事がなくなっていく中での焦りとなっていました。
泥上げ等の力仕事がなくなっていく中で、建設が進む仮設住宅での物品整理などの力仕事に活動の活路を見出していた矢先のことでした。その日伺った仮設住宅では、片づけもそこそこに集会室にお呼ばれされ、お茶とお菓子をごちそうになりました。お住まいの方々とおしゃべりをして、気がつけば帰る時間となり、その場を失礼しました。
帰路のバスの中、学生からは「大して働かずお茶までごちそうになってしまった」という反省が聞かれました。筆者も同じような思いをもっていたのですが、そのとき、ニーズの変化ということに気づかされたのでした。地域の方々にお茶に呼ばれ、おしゃべりを楽しむ、これこそがこれからの復興ボランティアの活動であることを明確に自覚した出来事でした。
そこで得られた筆者の結論は、「復興ニーズは、変化はするが、なくなりはしない」ということです。
その後、筆者等が参加する復興支援活動は、子どもたちの屋外活動の支援へとさらに移行・変化していきました。
子どもの心を支える
岩手大学から植草学園大学に転じてからは、岩手大学と連携して復興支援を行ってきた盛岡YMCAのお力添えをいただきながら、宮古市において、現場の特別支援教育ご担当の先生方の授業づくりや子ども支援のお手伝いができるような研修会を、年に1回ほそぼそと開催しています。
この活動もニーズの変化を感じてのことでした。発災から10年ほどを経て、東日本大震災津波を直接経験していない子どもたちが多くなってきましたが、この子たちの心にもさまざまなニーズがあることに現場は気づいていました。そして現在、子どもたちの心を支えるという教育の役割が、復興支援活動の中に確かに位置付いています。
子どもたちの心にあるニーズも、状況によって実に多様です。一通りの方法での解決が難しくなっています。筆者は、子どもの思いに共感し、子ども一人ひとりに固有の特別な教育的ニーズに応えるという特別支援教育の実践の蓄積が、今、現場で求められているのではないかと強く考えています。
本来、理念としての特別な教育的ニーズ(Special Educational Needs)は障害に基づく困難性から生じるものだけをさすものではありません。さまざまな要因に基づく困難性によって子どもに生じるものです。未曾有の大災害もまた、子どもの特別な教育的ニーズの契機となっているのです。そしてこの災害を通して子どもの心に生じた特別な教育的ニーズも、状況によって多様で複雑であり、かつ変化していくニーズです。
子どもの心を支えるということ。このことは道のないところに道をつくるように、息長く、ねばり強く続けていかなければならないことですが、教育・保育の大きな使命であると考えています。