交流及び共同学習の一コマから ~出会い続けるために~
植草学園短期大学
教授 堀 彰人
植草学園短期大学では、保育士資格と幼稚園教諭二種免許状を取得することが卒業要件になっていますが、所定の選択科目を履修することで特別支援学校教諭二種免許状も取得することができます。このようなカリキュラムを備えた短期大学は、現在二校しかありません。本学はその先駆けです。学生たちは、短大生活2年間で保育士資格と幼稚園教諭二種免許状を取得するための授業科目に加え、本学の特色として障害やインクルーシブに関連する独自の科目もあり、ほとんど隙間なく一週間の時間割が組まれています。さらに、この特別支援学校の免許取得も希望する学生は、2年生になると、毎週土曜日に、そのための授業に朝から夕方まで参加をすることになります。免許を取得した学生の中から、特別支援学校の教員を目指す学生が毎年、何名も出てきます。こうした学生は短大卒業後、植草学園大学の科目等履修生となり必要科目を履修し小学校の教員免許も取得した上で、教員採用試験に臨み、特別支援学校の教員として活躍しています。
小学校の免許取得と教員採用試験の合格を目指し科目等履修生として学んでいる卒業生が、大学の授業の合間によく研究室を訪ねてくれます。採用試験の勉強のこと、大学での授業のことなどいろいろな報告をしてくれます。何年か前のことですが、科目等履修生として学んでいた森国さん(仮名)が小学校での教育実習を終え、その体験を話しに来てくれました。実習させていただいた学級で少し“気になる”児童(Aさん)と出会ったこと、短大時代に学んだことを思い出しながら関係を築いていったこと、その中で、どう考えたらよいかわからなかったことなどをいろいろ話し込みました。その話が終わりかけた頃、特別支援学校からの居住地校交流の話題になりました。居住地校交流とは、小学校等の学区内に暮らしており、障害があるために特別支援学校へ通学している児童等が、本来であれば通うはずであった小学校等で同一地域の児童等と学習や活動を共にする交流及び共同学習の一つの形です。
小学校での実習期間中に、近隣の特別支援学校の重複学級の児童が小学校のその学級で一緒に過ごす日があったそうです。特別支援学校から来た児童は身体に不随意運動を伴うまひがあり、発語も聞き取りにくい様子だったそうです。最初は、その特別支援学校の子どもとどのような活動をしたかなどの全般的な話だったのですが、実習中に関わることの多かったAさんが交流に来ていたその子に出会った時の話になりました。Aさんは森国さんに、「先生、あの子は病気なの?」とそっと尋ねてきたのだそうです。そして私に、「先生だったら、どう答えましたか?」と問いかけてきました。森国さんに急に問われ、一瞬、慌てて答えを探した自分がいました。自分だったら、咄嗟にどう返しただろう…。
「“君は、どう思うの?”って、その子に聞き返してみるかもしれないな…」それが私の苦し紛れの返事でした。この時のように、子どもたちに急に問われて慌ててしまうことがあります。「どう答えたらよいのだろう…」、頭の中を駆け巡ります。このような時、私たちは一度で「正しい」答えを返そうとしてしまっていないでしょうか。仮に、その時に必死で考えた「正解」を返したとして、その子どもは、私たちが期待するように受け取り、理解してくれるでしょうか。大人でも説明に窮する問いに、少しの説明で子どもたちは本当に納得できるのでしょうか。そのような浅い問いだったのでしょうか。
「あの子は病気なの?」というAさんの問いかけは、診断名やその説明を求めていただけではないのでしょう。決してまだ長くはない人生の中で、恐らく経験したことのないような初めての出会いに遭遇し、「自分はどう理解したらよいのだろう」、「どのような理解に立って、その子と出会えばよいのだろう」というAさん自身への問いかけが背景にあったはずです。未知の出会いをどう受け止めたらよいか、その手がかりを、まず自分の限られた経験の中に探そうとしたのかもしれません。自分のもっている知識や経験の中から援用できる語彙を使って、交流で出会ったその子の状況や気持ち、自分の接し方を想像しようとしていたのでしょう。「病気」という言葉を使い、「そっと」尋ねてきたのも、大切に丁寧に考えなければいけない大事なことと感じていたからなのかもしれません。
Aさんにとって納得できる答えは、きっと、Aさん自身が関わりながら気づいていくことの中にあるように思います。最初の出会いで窓を閉ざしてしまったり、コミュニケーションの舞台から完全に降りてしまったりせずに、目の前にいるその子との自分なりの関わりを振り返りつつ出会い続けてくれたら…。もちろん思うようにいかないこともあるでしょう。それでも(だからこそ)、私たちはAさんが出会い続けていってくれるように工夫しつつ、Aさんの中に答えが生まれ育っていくプロセスを、時間をかけて一緒に歩んでいけたらよいのではないでしょうか。私たちの暮らす社会も、長い時間をかけながら、今もなお、理解を広げ、深めていこうと努力を続けているテーマでもあるのです。
「障害」と言われることに細々と関わってきた私自身も、正直に言えば、今回紹介したような学生との関わりの一コマで、あるいは、どなたかとの新たな出会いを通して、自分の浅い考え方に、はっとさせられることがあります。様々な出会いや関わりを通して(出会いや関わりがあったからこそ)、感じ方や考え方が変化を重ねてきたように思います。
森国さんがこのエピソードを教えてくれたのも、森国さん自身が出会った小さな一言に何かを感じながらずっと大切に抱えてくれていたからでしょう。森国さんは今、特別支援学校の教員として日々、子どもたちと関わっています。きっと、彼女もまた実習時代のエピソードに出会い続けて行ってくれているはずです。
植草学園大学・植草学園短期大学 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。
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