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大河『太平記』の史跡探訪記/鎌倉の浄光明寺〜光り輝く阿弥陀如来たち〜

鎌倉の浄光明寺は創建1251年、約767年の歴史があります。
創建時の13世紀(1201~1300年)は後鳥羽天皇の時代。先代は安徳天皇です。世紀末にはモンゴル帝国(元寇)の襲来を跳ね返した「弘安の役」がありました。(1281年)

鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男、実朝(さねとも)は1219年に北条氏に暗殺されたので源氏の嫡流は途絶え、北条氏が鎌倉幕府の主になりました。
浄光明寺はその北条氏の流れを汲む赤橋流北条氏の菩提寺です。

今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。視聴率は12%前後を推移して好発進とは行かないまでも、平安時代に生きた文学少女の成長物語に期待が集まっています。

平安時代の次の時代は鎌倉時代でその次が室町時代。時代の移り変わりには壮絶な戦乱があり、戦いに打ち勝った英雄を生みます。

英雄を記録した書物から物語が生まれドラマが作られます。名作の呼び声が高い大河『太平記』(原作・吉川英治『私本太平記』)は鎌倉時代に誕生し、後醍醐天皇と戦った末に室町幕府の礎を築いた足利尊氏(あしかが・たかうじ)(1305~1358年)の生涯を描いた大河ドラマです。

『太平記』は人間臭い愚直な人間群像を描いている


浄光明寺は足利尊氏の妻・登子の兄である赤橋守時の墓があることで知られていますが、何より尊氏が南北朝の争いを起こすきっかけとなった、後醍醐天皇に叛旗を翻す決意を固める為に、一時期蟄居(部屋に立て籠もって外出しない事)していた寺で、大河にもその様子が登場します。
(第34話「尊氏追討」)


尊氏は完全無比の英雄ではなく、常に一族の生き残りを模索し、北条氏の圧政に苦しみ、清濁併せ吞む事を良しとしない実直すぎる弟と争い、側室の子との壮絶な争いに悩む。

公家が全ての政治を司るべきと「公家一統」を宣言し、武士を虫けらのように扱う帝、後醍醐天皇に翻弄され続ける。しかし何故か尊氏は心から帝を憎むことが出来ない。矢を射かけては和睦を繰り返し、その為に多くの武将が命を落としました。

ちっとも太平じゃないじゃないか、英雄じゃないじゃないか、優柔不断じゃないか、と視聴者が思うかもしれない。これを全部平らかに収めることが出来ましたよ、それは尊氏でした、という意味を込めてのタイトルなのかもしれません。

尊氏の義兄、赤橋守時の墓


そんな尊氏が立て籠もった名刹「浄光明寺」を訪ねてみました。運良く木曜日に訪れたので、国の重要文化財である阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩(1299年造像)を拝観することが出来ました。(※拝観日は木・土・日曜祝日のみ)

残念ながら、この重文の仏達は撮影禁止なのでお見せする事はできない。
なのでただただ宋風美術の大胆な芸術的作風に感動しながら如来を拝むと、不思議なオーラに包まれて身も心も清められる気分に浸れました。拝観できる日にまた訪れたいと再訪を誓いました。

この三尊の裏側にやぐら(石や土を削って作られた祠・墳墓)があり、そこに石塔のようなものが二つ建立されています。大きな方が赤橋守時の墓だという事ですが、寺の案内係りに「本当に守時の墓という証拠はあるのか」と聞くとそういうものはない、との事。つまり、石塔の下に守時の遺骨が納められている、とかそういうことが証明されたわけではなさそう。もしかしたら遺族が建てた慰霊塔のようなものなのかもしれないし、単なる伝承かもしれない。調べてみる価値はありそうですね。


赤橋守時の墓とされる石塔

寺の中央に位置する客殿には三世仏が納められていて厳かに輝いている。




岩を細く切り崩した階段を登り切った所に冷泉為相の墓がある。


ハイヒールやサンダル、高価な靴では躊躇する階段


漁師の網に引っかかったと言う「網引き地蔵」

冷泉為相は歌人藤原定家の孫で母親は「十六夜日記」を書いた阿仏尼。

為相は京都で勃発した相続紛争を直訴する為に親子で鎌倉へ赴いた。鎌倉武士に和歌を教え、娘を将軍家に嫁がせて補佐し、言わば当時の最強文化人。
1328年没。

この為相の死後から二年目の1330年に室町幕府の二代将軍、足利義詮(よしあきら)が誕生しています。義詮の子、足利義満(よしみつ)が祖父尊氏と後醍醐天皇が引き起こし、約56年間続いた南北朝(天皇が南北に分かれて立つ)を合体させ(1392年)北山文化を開き、室町時代を太平の世にしました。賢い孫です。

【浄光明寺 基本情報】
・鎌倉市浄光妙寺は鎌倉駅西口より徒歩15分。
・八月は参拝休止なのでご注意ください。
・拝観日は木、土曜、日曜、祝日です。
・拝観時間は午前10時より12時まで。
・午後1時より午後4時まで。

〒248-0011
鎌倉市扇ヶ谷2-12-1 
☎️0467(22)1359

冷泉為相の墓 墓塔から伊豆の海が見渡せる
この日は大島がよく見えた 為相は楽しんだだろうか。

なぜか寺の入り口に楊貴妃観音がある。



         了

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