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伝統という懐の深さ

「ただいまー……あ、ちなみに言っとくけど、今日、朝歩いてたら歯が抜けたから。」

娘の帰宅直後の第一声です。
登校中に帽子をカミカミしていたらポロっといったらしいのですが、複雑な日本語にちょっとお姉さんになった気分なのねぇ~といじらしくなりました。
抜けた乳歯を洗浄し「歯の容れ物にしまっといてね。」と渡したのですが、なぜか目を合わさない……。

歯医者さんでもらった乳歯の容れ物の行方が分からず「やばい、怒られる?」とビビっていたようです。

2日程一緒に探すも結局見当たらず、行き場をなくした乳歯を見ながら私はひらめきました。

「投げるか。」

そうです、昔ながらのあれです。


抜けた歯は左側下顎のBなので、いざ屋根の上へ!
「せーのっ!」
「えいっ!」
「きゃっ、あれ?、えいっ、ん?……」
娘の奮闘むなしく足元へと戻ってくる乳歯。

「お母さん、お願い。」
「はーい……はい、オッケー乗った!」
二度と乳歯が娘の足元へと戻ってくることはありませんでした。

小さな歯を投げただけだけれど、なんだか一仕事終えた感の私www。
と、ふと娘に目をやるとなぜか浮かない顔。「どうしたの?」
「さみしくなっちゃった……。」
大きな丸い目に涙が溢れます。

自分の体の一部を失う体験をしたことで、これまでに感じたことのない感覚を味わい戸惑っていました。
私はなんだかとても嬉しくなりました。
なんてピュアでビビッドな感覚!
私は子供の頃、娘のようにこんなに繊細に一つ一つの感情を受け止められていただろうか、と。

そしてさらに感動したのは『乳歯投げ』という古くから伝わるしきたりの奥深さたるやです。どこでいつ頃からどのように始まったものなのかは分かりませんが、はるか昔からずっと続けられているのは、その儀式が人々の心に何らかの影響を及ぼすものだからなのだと私は思うのです。


別れの儀式

幼い子供にとって例え小さな歯であっても自分の体の一部を失うというのは恐ろしく、非常に戸惑う状況です。

小さなハートに大きな不安がのしかかる、そこで儀式の出番です。

日本やアジア圏では、抜けた歯を屋根の上や床下に投げますが、欧米では歯の妖精が寝ている間に金貨と取り換えてくれます。

その他、世界のあちこちで乳歯を投げたり落としたり交換したりという風習があるようです。

体の一部を失うというショックな体験から生じる悲しみを受け止め、投げたり落としたり交換してもらうという一アクションをすることできちんとお別れをし、次に生えてくる新しい歯が丈夫に育つようにと視点を未来に向けていく、なんと鮮やかな流れでしょうか。

昔も今も、親が子供の成長を願う気持ちは変わりません。

子供が自分自身の成長に伴う様々な変化を受け止め自己受容していけるようになるために必要なステップが、「歯を投げる」というたった数秒の儀式に丸っと込められているのです。


湧き上がる感情をありのままに受け止める

ある出来事にとらわれ、そこから気持ちが動けなくなるという体験を、多かれ少なかれ誰もがお持ちなのではないでしょうか。

幼い頃には感情の赴くままに泣いたり喜んだりできていたはずなのに、大人になるにつれいつの間にか周囲を気遣い空気を読んで感情をコントロールするのが上手になっていきます。それが大人というものだと私も思っていました。

ですが、大きく感情が揺さぶられる出来事に遭遇した時に、湧き上がる感情から目を逸らさずに「嬉しい」「悲しい」「私は今怒っているんだ」と自分で認めてしっかりとその感情に浸りきってから、次の未来へと視点を向けていくための何かアクションを起こして、自分自身で仕舞いをつける。
これが出来たら、何だかもっとかっこいい大人になれる気がするのです。

『歯を投げる』という儀式はそのお手本と練習なのかもしれないと考えると、受け継がれる伝統には人間の不変の真理と、ご先祖様が未来永劫続く子孫達の健やかな成長を信じる深く大きな愛が、皆まで言わずとも自然と感じられるようにできているのだな、と胸が熱くなりました。

儀式をしたことで感情をしっかりと受け止められた娘の成長に誇りを感じました。

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