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“不夜城”からの脱出 労働組合なのに超・長時間労働!?<前編>
2024年11月現在、様々な業種・業界から34労組に参加して頂きました。
引き続き、賛同・活動して下さる労働組合の皆さんをお待ちしております!
こんにちは!
ユニオンダイバーシティプロジェクトの事務局をしている、マルイグループユニオンのUです。
今回は、私たちがかつて「不夜城」と言われるほど超・長時間労働だった話と、そこから働き方改革をしてきたエピソードをご紹介します。
私は10年前に2年間専従として働き、その間に結婚・妊娠し、出産直前の定期大会で一度退任しました。
その後、会社に短時間勤務で復職。
第二子を出産したあと組合本部に戻ってきて、今期で5年目になります。
まさか自分が、子どもを産んでも組合活動に関わっているなんて、あの頃の自分が知ったら卒倒すると思う。それくらい、以前の働き方はブラックでした。
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不夜城と言われた組合本部
10年前の組合本部は「不夜城」と呼ばれていました。
出勤直後から深夜まで当然のように続く会議。
テッペン過ぎても会議が終わらず、時にはタクシーで帰宅することも。
会議がない時は早く帰れるかというと、そんなこともなく。
定時まで働いたあと職場に行き、組合活動に参加し、そのまま飲み会に参加して終電帰宅することもしょっちゅう。
土日祝も職場(お店)は営業しているので、活動があれば曜日関係なく出かけていました。
定時に帰ったことなんて2・3回あるかどうか。
21時台に仕事が終わったら「今日は早いな~!」と思っていました。
当時のエピソードで忘れられないのが、結婚してハネムーンに行きたいと上司に話ををしたときに「結婚休暇なんて、今まで取った人いないよ💦」と言われたことです。
半ば無理やり(?)ハネムーンに行きましたが、結婚休暇を全て使うことはできずじまいでした。
「人生で1度きり(たぶん)の結婚休暇すら、ここではちゃんと取れないのか!?」と憤慨したのを今でも覚えています(笑)。
その原因は「組合員のために」という価値観
今思うと「なんであんなに働いていたんだろう?」と思いますが、私自身、当時はそれが当たり前だと思い込んでいました。
組合だからこそ、職場に足を運んで、直接組合員の声を聞くべき。
職場の仲間は就業時間外で活動してくれているんだから、専従の私がみんなに合わせるのは当たり前。
組合専従なら、職場で困っている人がいたらすぐに駆け付けるべき。
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こうした、ともすると滅私奉公的な価値観が超・長時間労働を産んでいました。
この価値観を否定する気持ちはありませんし、職場の声が最も大切だという思いはいまも変わりません。
けれどだからこそ、組合専従の働き方を変えるのってめちゃくちゃ難しい!と痛感しています。
組合員からは…「組合が一番ブラック」
当然ながら、こういう様子は職場にも伝わります。
「どうやらあそこは朝も夜もなく働いているらしい」というのは、当時の組合員にもよく知られるところとなっていました。
私が初めて専従に立候補したとき、同じ支部の仲間から最初に言われたのは「Uさん、あんなとこ行って大丈夫なの!?」。
専従になったあとも、折々の飲み会で一緒になると
「本部がそんな働きかたで良いと思ってるの?」
「みんなに残業減らそうって言ってるのに、当の組合本部がそんなんじゃダメじゃん」とお説教。
職場も残業時間の削減をすすめている中、いつまでたっても変わらない私たちの働きかたは組合員から見ても異質なものになっていました。
妊娠して、どうする!?
そんな時、妊娠。
妊娠が分かってパッと頭に浮かんだのは「あ、これで次は退任だな」。
自分が子どもを産んでもここで働き続けるとは、想像すらしませんでした。
妊娠したからといって、働き方が変わるわけでもなく…。
私はたまたまつわりもマイナートラブルもなかったので、それまでと変わらない働き方が出来たし、やってしまいました。
でもそれが果たしてよかったのか、今となっては分かりません。
組合の役員は自ら立候補し、投票・信任されて初めてなるものです。
自分が選んだ職務であり、任期を分かっていて立候補している自覚もあるなかで、私自身が「最後まで変わらずやりきりたい」と思ったのも確かです。
でも、今になって振り返ってみると、その前提には「私ひとりだけ、妊娠したからといって働き方を変えられるわけがない」「みんながこれだけ働いているのに、私だけが働き方を変えたら周りにも職場にも迷惑がかかる」という気持ちもあったように思います。
結局そのまま走り切り、定期大会で無事に任期を終え退任。
3週間後には息子が生まれ、赤ん坊のお世話に追われる毎日が始まりました。
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので…
育児に奮闘するうち、大変だったことはすっかり忘れ「あの時の自分、よく頑張ったな~!」と、不夜城で働いた日々はいつしか“良い思い出”になっていったのです。
前編はここまで。
「子どもを産んでここで働くなんてありえない」と思ったはずなのに、短時間勤務でも働ける!?
後編では、マルイグループユニオンの働き方改革についてお届けします。