読書感想文 青春小説は憧れか自傷か
以下の文章には汐見夏衛先生著の「臆病な僕らは今日も震えながら」本編の内容を含みます。閲覧にはご注意ください。
こういった青春×命といったテーマの物語は現役の青春時代は憧れを拗らせすぎていて真っ直ぐに受け止めることが出来なかったけれど、青春から離れて見るとノンフィクションとして楽しめるようになっていた。
主人公の名前はきららと言う。姉のさくらとは違い少し現代風な、悪くいうとキラキラネームのようなもので名前負けを感じている。幼くして母親を亡くしていて家庭に居場所がなく感じ弱気で学校でもカースト的には下の方。
この小説がほとんどきららの一人称視点で進んで行くため上記の要素に当てはまる人が読むと心理描写のリアルさ故の自己嫌悪に陥ってしまうところがあった。
自分の苦労しか見えない、他人が背負っている重荷が見えないそういったところが16歳らしいなと読みながら思う。ただ昨今のSNSなどを見るに、思春期だからの欠点をいくつになっても引きづっている人が多いと自らの反省も含めて感じた。
もし、自分が高校生の頃にきららと同じような経験ができていたらもう少し早く他人も自分とは違えどそれぞれの人生を生きて来ているという事に気がつけたかもしれない。きららを羨ましく思う。
景ときららの出会いが計算されたものではなく運命的なものだったのが好きだ。読んでいる最中はあまりにもふんわりとした出会い方で少し興醒めしてしまったが一通り読み終わってみるとあの運命的な出会いに少し涙ぐんでいた。
作中内でふたりがくっつかなかったのも個人的にはすごく好きな点だ。頭が良くて性格も落ち着いていて絵の才能もある景は感情的になることがなくきららへの感情も上手く読み取れなかったけれど、泣いているきららに対しての行動から深読みしてしまうところもある。実際きららがクリスマスを意識しているのに構わずクリスマスに会う約束をするのは少し意地悪な子なのかとも思ってしまう。こういう駆け引きも高校生ならではでなんだか心がソワソワしてしまった。
人間はそう簡単に変わることが出来なくて、なにか大きなきっかけがあったとしてもそれまで10何年と生きてきた自分を踏み外すようなことはどうしても怖くて。それでも変わっていく年代の少年少女の話、タイトル回収で涙がこぼれてしまった。
本音のところ死を選択肢に入れていた人間が生きることを選択して前を向こうとする作品はしばらく苦手意識があったのだが、なぜ、私がそこに苦手意識があったのか考えると「結局は生きていくしかない」という死にたい私を強く否定されたかのようなメッセージが透けて見えたり、同じ気持ちを抱えていた人がひとりまた敵になってしまったような感覚になっていたからだ。
しかし、この、「臆病な彼らは今日も震えながら」は死にたい理由を打ち消すようなことをしれて、更に臆病だった自分も少しかわれるということに気がついたという段階を踏んだ上でまだ震えているという描写があり、彼女らは変わる前の自分さえも糧にしてこれからを生きていけそうな気がして読了後に爽快感があった。
私が青春真っ只中に出会わず、今出会えて本当に良かったと思える作品だった。