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ハードはソフトを規定するのか

生音が好きだ。

ベースとバスドラムの重低音が身体中に響き渡り、心臓が叩かれるような感覚がする。そして、ギターのジャカジャカした歪みが耳から入ると、頭の中が爆発しそうなほど脳が痺れる。聞き慣れたはずの歌声は、音源とは違う吐息、叫びを帯びている。爆音を発すると共に汗を輝かせるバンドマンの姿は何度見ても心が暴れ躍る。

私がライブに行き続けるのは、まるで薬物のような生音の中毒になっているからだ。3歳の時から両親にライブに連れていかれ、約20年も生音にどっぷり使っている。末期だ。

しかしここ数年、新型コロナウイルスの蔓延によりライブは規制され、多くが中止となった。いくつものライブハウスが扉を閉じた。例年、全国から多くの音楽ファンが集まる音楽フェスはほとんどが中止。バンドにとってライブはファンとのコミュニケーションの場であり、言ってしまえば収入源である。ライブができないのは大きな痛手だ。それは私たち音楽ファンにとっても同じで、日々の溜まりに溜まったストレスを発散する場が奪われてしまった。

そこで困窮した音楽業界がこの状況を打開するために始めたのが「配信ライブ」である。無観客のライブハウスやスタジオでバンドがライブする様子をインターネットで配信するというものだ。アーティストによっては様々な工夫を凝らしていた。特に日本のロックバンド「サカナクション」は配信のためだけに専用のセットを組み、本物のライブさながらのパフォーマンスを実現した。

SNSでは配信ライブに対して好意的な意見が多かった。たしかに音源だけでは満足いかない日常では、映像であってもバンドマンの姿を見たい。仕事に追われてライブの開演時間に間に合わないなんてこともないし、汗まみれの知らないおじさんたちと狭いライブハウスにぎゅうぎゅう詰めにされることもない。ライブ中では見られない細かい仕草や演奏する手元の動きまでしっかりと見ることができる。

だが、私にとっては拷問でしかなかった。餌を目の前に吊るされたまま口にできない馬と同じだ。パソコンやスマートフォンから出る音は、全ての音が均一化されていて薄っぺらい。耳だけでしか音を感じ取ることができない。身体に溜まったストレスはそのまま居座り続ける。スッキリしないし、もどかしいのだ。

どんなに技術が発展し、いつでもどこでもライブを見ることができるようになっても、きっと私と同じ生音中毒者たちの飢えは収まらないだろう。この飢えはライブ配信では解消されない。

それはおそらく、ライブ配信を実行している音楽業界自信にとっても同じだ。ここ最近は徐々に生のライブが復活していることからそれはわかる。人数制限や観客の声援禁止、間隔を開けての観覧などの規制はありつつも、ライブを行っている。私が働くライブハウスでもイスあり公演が少しずつ減り、キャパシティの上限もゆるくなっている。

生音を欲する音楽ファンにとって、ライブ配信は必ずしもオアシスとなるとは限らないだろう。

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