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「うえまち」大阪考 01「うえまちの文化圏」

地域情報紙「うえまち」を立ち上げたきっかけ

一心寺の長老高口恭行師から、上町界隈に地域情報紙がないことについて話され、それならやってみようかと思ったのがそもそもの始まりでした。ただやるからには、上町台地を対象に、よりはんなりとしたひらがなで表現し、情報紙名を「うえまち」にしたいと思いました。長老にはタイトルの書をいただき、その想いに触れ、長老も本気だなと感じいった次第です。


うえまちの題字:高口恭行(一心寺長老)

建築家そして一心寺の長老として、社会活動を大切にしておられて、地域のまちおこしについて多くの連載をしていただきました。長老から繋がりから、多くの文化的な施設、例えば、大阪歴史博物館等にもネットワークが広がっていきました。うえまち界隈のプラットフォームとして情報発信がしていけたのではないかと思います。

うえまちの範囲ってどこ

基本的は上町台地ですが、北は大阪城から南は住吉大社までの丘陵範囲で、東西は松屋町筋から環状線ちょっと東側くらいまでをイメージしています。東側が海だった頃から半島としてのうえまちですからね。聖徳太子が593年に四天王寺を作ったとか、それ以降、その東側が遣唐使の発着港だったとか、そういう風土を大切にしたいと思っているんです。
加えて、文化的にはさらにその周辺までを含められると考えています。文楽劇場なども範囲外ですが、嗜みとしての町衆文化のつながり的に考えるとこれはうえまちの文化圏だと考えています。

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