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いつもポケットにいつか使いたい言葉を
教科書に必ず載っている古典的名著なのに全く読んだことのない本が恐ろしいほどたくさんある。それは音楽に例えると、ロック好きなのにビートルズを聴いたことがない、みたいな感じだろうか。
しかし音楽とは違い、そういう古典的名著を読むには超えねばならぬハードルも存在する。それは言葉がよく分からないということだ。例え日本語で書かれていたとしても難しい言葉が多かったり、古い言い回しが多いと、だんだん内容についていけなくなり、文字を追うだけでも精一杯になってしまう。だが、そんな私でも読みやすい本をついに見つけてしまった。『現代語訳 論語』(訳:齋藤 孝、ちくま新書)である。なんと、これは2500年以上前に中国語で書かれたものが平易な現代日本語で読めてしまうという超お得な一冊なのである。
この本の内容に触れる前に、今回の主役である孔子の人生を超簡単に説明しよう。まず、孔子は紀元前552年(※1)に魯(ろ)という国で生まれた。かつて権勢を誇っていた周にはもはや中国を納める力はなくなり、多くの小国が勃興しては互いに権力争いを繰り広げていた時代である。そんな混迷の時代において孔子が残した政治的に大きな功績というのは、特にない。
ではなぜ、孔子が教科書に載るくらい歴史的重要人物になったのかというと、のちに儒教として体系化される思想の大元になった人物だからである。孔子の死後、弟子たちが何百年もかけて孔子が残した概念を整理したり解釈を加えてまとめていったのが儒教だ。この儒教は中国だけでなく日本にまで絶大な影響を及ぼしていった。そうして儒教が体系化される過程で、弟子たちが孔子の言動をまとめた逸話集がある。それが『論語』なのだ。
ちなみに『論語』の有名な「子曰く」というのは「孔子先生はこうおっしゃいました」という各節の書き出しに使われる定型文みたいなものなので、読んでるとめちゃくちゃ出てくる。そしてありがたいことに各節が超短い。なんなら三行くらいで終わるのもたくさんある。これならトイレでちょっと読むにも良いし、友人や恋人との待ち合わせなんかにも最適。なんだか、孔子を以前よりグッと身近に感じちゃうよね。
基本的に孔子は現代日本にある「あえて」という価値観を持ち合わせていないので、言うことは直球で意外性は少ない。なので、普通のことを言ってるなと思うことも多い。まぁ、それほど日本人の常識的感覚に儒教のエッセンスが浸透しているとも言えるのかもしれない。あと、スパッと短く切れ味の鋭い言葉がたまに出てくるので、ついついページをめくる手が止まってしまうことも何度かあった。
そんなわけで、これから『論語』を読んで個人的に面白かったところや気になったところを紹介していきたい。
正しいことを整理
先述したように混迷の時代だったこともあってか、孔子先生は人が生きるうえで大切にすべきことを結構明確に分類している。「孝:父母によく仕えること、悌:兄や年長者によく仕えること、仁:自然に湧くまごころや愛情、信:言葉と行いが一致すること、温:温和であること、良:やすらかで素直、恭:つつしみ深くおごそか、倹:倹約で節度がある、譲:人にゆずる謙譲」などなど。2500年以上前に抽象的なことを分類する考え方ができるのは素直に凄いと思う。当たり前だけどめちゃ頭が良かったんだろうな、って感心してしまう。
それにしても、これらをざっと見るだけでも日本人の美徳とされる価値観と一致するものが多い気がする。儒教の基本理念というのは現代日本にも多大な影響を与え続けているとも言えそうだ。
ちなみに1973年に上映された傑作ヤクザ映画『仁義なき戦い』の「仁」と「義」は両方とも儒教用語なので、この映画は「儒教の教えを忘れて私利私欲にまみれた奴らの戦い」とも言えるのだ。
顔回のことが大好き!
孔子先生の愛弟子に顔回(がんかい)という人がいた。先生は顔回のことがとにかく大好きで、最終的には「もはや顔回って、おれのことも超えちゃってるよね。」と別の弟子に自慢する始末。しかし、そんなに大好きだった顔回は惜しいことに早死にしてしまう。その報せを聞いた先生は身を震わせて大泣き。それを見て動揺してるお供に向かって、先生は「今泣かなかったら、いつ泣くんじゃい!」って言い放つくらい悲しんだ。
顔回の死後も「顔回っていう、超立派な自慢の弟子がいたんだけどさぁ。。」っていう話が何度も出てくる。それくらい先生は顔回のことが大好きなのだ。
口だけ野郎は大嫌い!
「口先だけ上手くて行動が伴わない奴とか、最悪だよね。マジで嫌い。」っていう話が本当に何度も繰り返し出てくる。一応、「口先だけで人付き合いすると、結果的に人から恨みを買うことになる。」っていうもっともらしいことも言ってるんだけど、たぶん昔にそういう感じの人から相当痛い目にあったのをずっと根に持ってるんだと思う。
そんな冗談はさておき、日本の質実剛健イズムって実はここから来てるんじゃないだろうか。「男は黙って背中で語れ」みたいなやつ。
意外とドライな一面もある
基本的に人徳あふれる立派な人なんだけど、たまにドキッとするくらいドライな一面もある。
弟子の子貢(しこう)が「人からされて嫌なことは、人にしないようにしたいと思ってます。」って立派なことを言うんだけど、先生は「お前じゃ無理!」って一蹴。「それ全然簡単なことじゃないから、有言実行するつもりなら軽々しく口に出せることじゃないよ。」ってことが言いたかったらしいんだけど、そんな言い方しなくてもよくない?
あと、別の人から「怨みのある人に対して報復するんじゃなくて、恩徳で報いるのってどう思いますか?」って質問されるんだけど、先生は「それだと恩徳を受けた時にはどうやって報いるんですか?やっぱり恩徳には恩徳で返すし、怨みにもそれ相応のもので返しますね。」って答えてる。こわっ!
言葉の暴力、許しません
弟子の南容(なんよう)が「白い玉についた傷は磨けば直るけど、人を言葉で傷つけたら直しようがない。」って普段からよく言ってた。それを聞いてた先生は「こいつ、分かってんじゃん。」って感心し、その弟子を兄の娘の夫として迎え入れたっていう話がある。2500年前から言葉の暴力は叫ばれていたんですね。自分も迂闊なこと言いがちだから気をつけたいっす。
いつか言ってやりたい
個人的に一番好きなエピソードがある。魯の君主である定公(ていこう)が「国を滅ぼすくらいの言葉ってあるのかな?」って孔子先生に尋ねた。すると先生は「言葉にそこまでの力があるわけじゃないですけど、あえて言うと『自分の言うことに誰も逆らわないのは気持ちいい』ということかと。君主が言うことがいつも正しければ良いんでしょうが、そうじゃない時に部下が従うだけだったら、その国はそのうち滅びますよね。」って答えた。
これを会議とかで面目のためだけに謎の案をゴリ推ししてくる上司とかに言ってやりたい。「ご存知かもしれませんが『論語』にはこんなくだりがありましてね。。」的な感じで。
以上、とりあえず個人的に面白かったところを挙げてみたけど、いかがだったろうか。読む人の年齢や立場が違えば私が挙げたのとは異なるところが響くことはかなり多いと思う。そういう意味では汎用性が高く、時間を置いてから読み返すと別の発見もありそうだ。さすが古典、長年愛されているだけはある。
まぁ、かと言って孔子が言ってることをそのまま鵜呑みする必要はないし、その時々で自分のモードに合う言葉と付き合うのが一番良いのかと。
※1 孔子が生まれた年には諸説あるらしい。