covid-19の影響で中止になったベネツィアのカーニバルから帰って来た僕が咳をしていると、心配性の嫁は大学病院で検査出来るように手はずを整え、検査を受けるか逡巡する僕を否応無しに家から送り出した。 部屋はパソコンもサランラップで包まれたあまり物が置いていない大学病院の一室だった。2月末日のベルリンはまだ新型コロナウィルスの騒ぎが大きくなる前で、検査を受けに来ているのは僕だけ。検査に来た医者は慣れない手つきで、喉の粘液に触った手の平の2倍はある綿棒をそのまま鼻の奥まで差し込
妻が帰宅した翌朝、妻の留守中に早起きの習慣がついた私は子供たちの朝食とランチボックスを台所で準備していた。前日の夜に封を切られなかった手紙は読まれ、妻は台所に入って来ると『ありがとう』と言ってハグをしてくる。これまで既読スルーされ続けていた私にとっては、輝く希望のようなハグだった。ここから少し好転して行くかもしれないと思いながら、子供たちを学校へ送り出すための作業を続けた。 子供たちが出て行った後、妻は外出して話をしようと言って来た。近場を散歩しながら話すと想像していた私は
2021年6月末、17年間一緒にいて13年の結婚生活を過ごし二人の子供たちを共に育てている妻から私に対する気持ちが枯れていると言われた。その瞬間、これまで彼女との間に起こった口喧嘩や彼女の涙顔が頭の中で一杯になり、そんな時を過ごしたことの後悔で胸がつまり涙が止まらなかった。失敗。その言葉だけが私の身体の中で行き着く場所も見つからずぐるぐると回り続けた。 7月に入り友達家族と私の家族とで毎年恒例となっている休暇を過ごす事になった。寝室は妻と下の子と一緒だが、ダブルベッドには子