想定はしていたが…2
妻が帰宅した翌朝、妻の留守中に早起きの習慣がついた私は子供たちの朝食とランチボックスを台所で準備していた。前日の夜に封を切られなかった手紙は読まれ、妻は台所に入って来ると『ありがとう』と言ってハグをしてくる。これまで既読スルーされ続けていた私にとっては、輝く希望のようなハグだった。ここから少し好転して行くかもしれないと思いながら、子供たちを学校へ送り出すための作業を続けた。
子供たちが出て行った後、妻は外出して話をしようと言って来た。近場を散歩しながら話すと想像していた私は、その後仕事ができるようにラップトップとハードディスクをリュックサックに詰め始めたが、出かける準備をしている妻の口から自宅から1時間かかる湖の名が出て来た。慌ててリュックサックの中身を出し、私はペットボトルの水だけをリュックサックに携えて家を後にした。
湖へ向かう電車の中、妻はVision Questに集まった人たちの事や、その間にどういう事をしたのかを話してくれた。自然の中で3日間の断食もたいして苦ではなく、参加者のほとんどが人間関係に問題を抱えていた稀な回だったという。
Vision Questとは北米の原住民が行っていた儀式で、今ではヨーロッパだけでも各地で行われている。妻が参加したのは11日間スペインの山中で行われたもので、1週間ほどの準備の後3日間の断食を自然の中でテント無しの野宿状態で行われる。その際に自然が人生に大事な知識を明らかにしてくれるらしい。
湖の辺りに着き小道を歩きながら妻が語り続ける。見晴らしの良い場所で3日間の断食を過ごしたいという思いで4時間以上歩いていた。しかしどうしても見つからず仕方なく妥協して場所を決め、荷を降ろし周りを歩くとそこから20歩も行かない所に理想通りの場所に出会った。そこに寝床を作って横になると大きな栗の木があった。そして一番最初に目に入って来たのは既に枯れた2枚の大きな葉っぱだった。これが今の私たちだと直感して別れる事を決断した。
そう告げ終わると妻は、私が書いた最後の手紙の内容がちゃんと自分のことを想って書いてくれたものであること、これまでの私が送り続けたメッセージに対してどう返事して良いか分からなかったことを告げる。6月の終わりからその日まで関係が修復される日を待ち望みつつ、離婚という言葉が私の頭の上に重くのしかかっていた日々を過ごして来た私は、揺るぎない決断を伝え終わり軽くなった妻を横に湖畔のベンチから立ち上がれなくなっていた。