文化への投資こそが日本が生き残る道である
前回、資本集約的な事業ではいずれグローバルな競争に負けてしまい、日本が死んでしまうという記事を書きました。
私が考える日本がこの先グローバルなプレゼンスを保つために必要な戦略は、"競争する必要がない"事業をたくさん生み出すことです。
言い換えると、"日本にしかできない"事業への投資を強化するということです。
商品やサービスの品質といった機能的価値は大前提として満たしている必要はありますが、その上で"日本であること"を情緒的な価値として見出すことができる事業こそ、他国と競争する必要がない事業だといえます。
文化は日本固有の価値である
もっとも直接的に価値を発揮するのが、観光や食、工芸などの"文化"に関わる分野です。
例えば、日本観光は日本でしかできない体験であり、他のどの国も真似できない事業です。
たとえ品質のレベルが同じだとしても、ニューヨークで食べる寿司と日本で食べる寿司は別物です。
寿司には、日本という国で生まれたというコンテクストが存在するからです。
いくら海外で食べる寿司の品質が上がったとしても、こればっかりは他には真似できない"ストーリー"という付加価値なのです。
本物の文化は基本的にその土地に根付くものであり、その土地以外で普及するのは模倣された文化でしかありません。
一方、本物の文化を取り入れてその土地以外で創られたものは、新たな文化だとも言えます。
洋服は欧米の文化ですが、原宿系のファッションは間違いなく日本の文化です。
観光と食は大いなる可能性を秘めている
文化は固有の価値であるからこそ、国際的な競争力を失った我が国において"文化に関わる事業"、あるいは"文化を創っていく事業"への投資は非常に重要なのです。
注力すべきは、観光と食に関わる分野です。
特に食文化は、土地固有であることに起因する情緒的価値を持ちながらも、国際的にコモディティ化して市場規模が大きくなる可能性も秘めています。
これは一見すると矛盾しているようですが、私たちの身近にもこのような例はたくさんあります。
たとえば、私たちは日常的にイタリアンを食べますが、本場のイタリアから直輸入されたプロシュートには何となく価値を感じます。
これは、イタリアンがイタリア発祥の料理であることを私たちが知っているからです。
仮にイタリアンがイタリア発祥だと知らないとしても、コモディティ化したイタリアンには機能的価値があります。
このように、食文化は大いなる可能性を秘めています。
文化への投資はチャンス
しかし、やはり私と同世代で文化に関わる事業に本心からポテンシャルを見出している経営者はまだまだ少数です。
もしくは、文化に関わってはいても、たとえば観光や飲食のプラットフォーマーとして事業を展開していることが多いと思います。
資本主義に則ると合理的な選択ではありますが、これでは国際競争力のある文化を育てることは困難です。
一方、最近は廃業寸前の老舗和菓子店を買収して新しいことを始めるといった動きも目にすることが増えてきました。
私も日本文化を残したいという気持ちで和菓子店の事業譲渡を受けました。
実際に和菓子店の経営を始めてみると、想像以上に和菓子業界は前時代的であることがわかりました。
加えて、東京と地方でもかなり差があり、東京の和菓子店は企業体としてしっかり経営できているところが多い印象ですが、地方の和菓子店は個人商店のような形でまともな経営ができておらず、後継者不足で廃業を余儀なくされるという流れが定着しつつあります。
おそらくですが、和菓子店に限らず温泉宿や工芸など伝統的な文化に関わる業界では、いずれも前時代的な経営をしているところが多いのではないでしょうか。
ですが、これはむしろ文化に関わる業界にイノベーションの余地が無限に広がっていると考えることができます。
東京でバリバリ仕事をしている若いビジネスパーソンには、是非とも文化を担うプレーヤーとして、地方で活躍してもらいたいものです。