最後の最後まで苦しめってことか
何を言っているのだろうと思われるだろうが、私は死の形が見える。手を天井にかざすと、指の隙間から、死の形が見える。でも触れない。触ったらどんな感触なのかなと思う。死ぬ時になったら触れるのかな。
この数日色々あった。
一瞬、ほんの数日、ひょっとしたら生きられるのかもしれない、救われるのかもしれない。と思う出来事があった。でも結局、自分の欠陥具合を再認識して、傷を抉られるような言葉を貰うだけで終わった。その言葉を私に言うのはあなたで2人目だよ。2人目だから、たぶん当たってるんだろうね。だったら私はやっぱりもう生きていたくないよ。でもその言葉を私に言うのなら、初めから手を差し伸べるな。甘い言葉をかけるな。
責任転嫁?いや、あなたもおかしいから。そんな簡単に気持ちが変わるのならば、私のような不安定な人間に近づくべきじゃない。怖いと思ったよ。言葉のチョイスが怖かった。結局、今までより深いところに落とされただけだった。
自分の、自分自身への殺意だけを信じればよかった。
それでもまだ首の皮一枚繋がっているのならば、信じられるか信じられないのか、生きるか死ぬか、あと3日考えるよ。私がかけられる時間はそれだけ。
何を言っているんだみたいなnoteですみせん。
お正月に知りたくなかったことを知ってしまったことといい、今回のことといい、どうして穏やかに逝かせてくれないの?全部諦めて手放して、何も望んじゃいなかったのに、まだ苦しめというの?どうして新しく傷つくようなことが起きるの?ちゃんと死ぬことを選んだんだからもう解放してよ。
ここまでくると、何かそういう意思が働いてるのではないのかと思えてくる。
一瞬でも生きられるのかもしれないと勘違いしたせいで覚悟にノイズが走ってしまった。ノイズが残ってしまった。しんどい。諦めさせてよ。どこかでまだ助かりたいと思ってるのかもしれないけど、助かる方法もないと思ってる。だから邪魔な感情を起こさせないで。
ところで今日誕生日だったんですが、ほっとくと私が死ぬと思っている件の経営者のおじさまに祝ってもらいました。鎌倉でおいしいご飯いっぱい食べてお土産も貰いました。財布忘れて現金なくて、おみくじの代金まで払ってもらっちゃった(苦笑)。頭の片隅でずっと辛いこと考えていたけど、楽しかったですよ。何年かぶりに寂しくない誕生日だった。結局は悲しくて泣いてまた胸を借りてしまったけど。手を握ってくれてありがとうございます。他人の体温を感じられるってとても幸せなことなんだと思った。
また来年も祝いましょうと言って貰えたけど、どうなるかは分からないね。
また目を見て無気力と言われた笑。約束したから誕生日に遊びにきたけど、終わったら消えちゃおうかなと考えてるでしょと言われて。ええ、当たっています。
高校時代の友人のLINEグループを元気でねって言って退会したら鬼電鬼LINEだった。何かあると思われている、Xに不穏なこと書いたからだな。
こういうの全部かまってちゃんになっちゃうんだろうか。でもどうしたらいいのか分からない。家まで来てくれた子もいた。会わなかったけど。苦しいのは分かって欲しいけど、何かして欲しいわけではもうない。これは卑怯だろうか。
心配してくれる人がいるうちに死にたい。
車に例えよう。車体が歪んだらもう直しても完璧にはならない。人も歪んだらもうダメ。治らない。自分の歪みを指摘され続けて、私はもう抱えきれない。夫に言われた死にたくなった言葉と同じことを、他の人にも言われるとは思わなかった。ずっとその言葉が頭から離れない。たぶん、この先生きてまた大切な人ができたとしても、頭から離れることはない。ずっとずっとしんどいまま。やっぱり救われる気がしない。救われる形もしていない。私は欠陥品なんだろう。欠陥品は早く処分したほうがいい。
もう息してるのがしんどい。
苦しいことがあって息ができないんじゃない。
もう生きるっていう根源自体が苦しい。
助かりたくないな。
一瞬だとしても何を夢見ていたんだろう。