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コトバノクズカゴ
2020年4月20日 17:02
片田舎の本屋さんで出会った月刊「言語生活」(筑摩書房刊)。 見坊豪紀さんの「ことばのくずかご」を読んで、今目の前でダイナミックに変化し続ける言葉の面白さに惹きこまれました。 その「言語生活」休刊から一世代分の時間が過ぎました。言葉は移ろい、言葉を扱う編集の現場も随分変わりました。 出版社で編集の仕事に就いたときは、既刊本は活版印刷、新刊はオフセットで、という印刷方式の転換期でした。校正
2020年4月20日 17:12
表記統一や校正は、クライアントからの指示通りに行うのが原則です。ただ、企画趣旨に沿って、こうしたらもっとよくなる、という提案をすることはあります。 たとえば、著者が「障碍」にこだわって使っており、編集者から「障碍」で統一するという指示があればその通りにします。しかし校正の依頼があるのは、そもそも多くの人に読んでほしい、理解してほしいからなので、初出にはルビを振ってはどうでしょうか、といった提案
2020年4月20日 17:16
前述の宝塚市では、「障碍」には振り仮名を振ることになっています。一般市民には読みにくいという判断が働いているからでしょう。ですからこの先、自治体など公的機関が「障碍」を使うようになっても、とりあえずしばらくは「障がい」が広く使い続けられると思います。 この「ショウガイ」問題は、文字表記の問題として扱われています。しかし言葉は読み、書くだけではありません。話し、聞くものでもあるのです。 たと
2020年4月20日 17:33
気になり始めたのは10年近く前だったでしょうか。届いたメールやネットのブログに「一個づつ」「一人づつ」と、「ずつ」ではなく「づつ」を見かけるようになりました。 最初は「D」と「Z」の入力ミスかな? ぐらいに思っていました。手書きなら「ずつ」と「づつ」は間違えっこない。みんながローマ字入力するようになったせいかもしれない。きっと一時的な現象だろうと想像していました。 ところがそのうちに印刷
2020年4月20日 17:40
少し前まで「行なう」、と「な」が送られているのは自分より上の世代の文章に多い印象がありました。最近になって、ネットのコンテンツをはじめ紙媒体でも若い人が「な」を送っているのを目にすることが増えたように感じます。 校正の仕事では、この「な」は、何も指示がなければ削除されます。ただ署名原稿で、一貫して「な」が送られていると、そのままにすることが多いです。 では「な」は、余計なのでしょうか、そ