都会の川で泳げる未来を #未来のためにできること
「なぜ、自分はここまで家の近所の川で泳げる未来を熱望しているのか。なぜ、周囲の人々は近所の川で泳げる未来に関心がないのか。」
その理由は、結局のところ幼少期の体験にあるのではないかと思い至りました。私は幼少期に埼玉県の田舎で育ちました。住んでいた団地の隣は林で、クワガタが取り放題でした。何よりも深く記憶に残るのは、夏に毎週のように家族で出かけた近所の川遊びの思い出です。
当時5歳程の私にとって、川遊びは冒険であり探検であり研究でした。非日常の世界に興奮しながら生き物を探し、捕えて観察し、家に持ち帰り図鑑で調べて飼育しました。今思い返せば、なんて贅沢な時間だっただろうと感じます。戻れるものなら、いま直ぐにでもあの頃に戻りたいです。
その夢のような時間を過ごしてから、早40年以上が経過しました。今、自分の息子に同じ体験をさせてやれないことが残念でなりません。しかも、自宅の近所の川は雨が降ると臭います。週末に息子と近所の公園に遊びに行く途中、必ずその川を渡ります。「お父さんの仕事は川をきれいにする仕事なんだよ。」と息子に言い聞かせている手前、メンツが立ちません。私の住む地区では合流式下水道を採用しているので仕方がないのですが、これが今後もずっと続くのかと思うと、下水処理のエンジニアとして本当に悲しく情けない気持ちになります。
雨水と汚水を1つの配管で集める合流式下水道は、雨が降ると汚水が川に流れ出てしまいます。この合流式下水道を2つの配管で雨水と汚水を分けて集める分流式下水道へと切り替えて行くことで川は確実に綺麗になります。しかし、この切り替え工事を抜本的に行う考えを持つ大都市の自治体はありません。なぜなら下水道に充てられる財源と、向けられる関心が乏しいからです。
宇宙観光のためにロケットを飛ばす時代に、都会の川で泳げる未来を目指すのは滑稽でしょうか。地球を宇宙から眺めるだけのためにロケットからCO2を排出することに眉を顰める人は、自然豊かな田舎で川遊びをするため自家用車からCO2を排出することに無頓着であったりします。
「過去に私が経験した、自宅の近所の川で遊ぶ体験を未来の子供たちと時代を超えて共有したい。これは欲なのか、はたまた祈りなのか。」
サグラダファミリアの建設工事と合流式下水道の分流化工事を頭の中で重ねながら、今日も私は下水道のため働いています。