何をしないか、を自分で決めるのがキモという教え
深夜徘徊真っ最中。
子供の頃、よく叱られたものです。
主旨は全く異なりますが、仕事において最も大切なのは、
”何をするかではなく、何をやらないか”
の選別・選択なのかもしれません。
Appleのジョブズも同じようなことを言っていましたが、最近になってようやくその言葉の意味が少しだけ理解できた気がします。
言葉を変えれば7つの習慣にも同じようなことが掲載されています。
重要でないことはするなとか、自分の限られた命から逆算して自身で管理しなさいだとか。
言い回しは違いますが、本質は同じだなって歳を重ねるごとに実感します。
それが中年の良さなのかもしれません、これからさらに歳を重ねるにつれてまだまだ人として成長できると考えると歳をとるのも悪いもんじゃないって気がしてきます。笑
一方、この世には善も悪も存在します。
一定の基準に基づき、万人にとってよくないよねってことは大体のことがルール化され、それを条例や法律として定めたりもします。
でもふと考えることがあります。
僕の恋愛が実った裏側には誰かが涙を流しているのだということを。
僕が儲かっているときは誰かが損をしているのだということを。
当たり前のことです、真理ですね。
でも時々思うんです。
僕と家族が幸せに暮らしていけるレベルの金額を稼ぐためならパートナーも儲かってお互いwin-winである方法を追求した方がいいよねって。
気持ちの良い、納得のいくやりとりがひとつでも増えれば、それだけたくさんの人がハッピーになれるってことだよねって。
また、こうも教えられました。
死ぬときはプラスマイナスゼロ。それは誰であってもだと。
人よりたくさん稼いだ人は、それだけ恨まれ、妬まれている可能性が高くなる。人のためにたくさん犠牲になってきた人はそれだけ多くの人に慕われている可能性が高くなる。
そのバランスを設計するのは、やはり自分自身なんだと。
久々に恩師の教えを思い出し、当時メモしたことを読み漁ったことで改めてたくさんの気づきがありました。
独り占めは良くないので、せめてこの文章を読んでくださった方のプラスに貢献できればいいなと、そんな思いで深夜徘徊の手を止め日記として記すことにしました。
コロナで世界中が大変な時期でありますが、まもなく3度目の緊急事態宣言が発令されようとしていますが、不平不満ばかりを募らせても実際のところ何も解決しないので、これを読んで下さったあなたとともに良き未来に進むことができることを祈ります。
善行をなそうとする人も、悪行をなそうとする人も、まず心の中でそれをなそうと決めてから、その行動をするものである
すなわち、それ人の心が決めること
南無大師遍照金剛