見出し画像

和室を訪れて、気分を安らかに

見出しの写真は、東京都庭園美術館の庭園内にある、茶室「光華」の和室です。庭園を散策したり、美術館(旧皇族朝香宮邸)を見学したりと、半日遠足にオススメです。


ということで、ちょっとしたアウティング(outing)に和室は、いかがでしょうか。

1.寳山寺獅子閣(奈良県生駒市)


関東の人には、あまり馴染みがないかもしれませんが、関西を中心に「生駒(いこま)の聖天(しょうてん)さん」の名で親しまれている、寶山寺(ほうざんじ)というお寺があります。

境内には、和風洋館建築とでも呼ぶことができる「獅子閣」があります。一人の宮大工、吉村松太郎が棟梁として腕を存分に発揮した建築物です。鹿鳴館が完成した翌年の明治17(1884)年に竣工したということからも、時代の先端を走っていたことが分かります。

思わず正座するような空気が感じられます

ここで生活するというよりも、人と会談や密談をしたり、少人数で食事をしたり、碁を打ったり、住職から説教を拝聴したりといったことをするのに、相応しい和室ですね。

襖(ふすま)の絵は、部屋に入る人に多くのことを語ることができる優れた日本文化です。源氏物語にも襖はごく普通の情景として登場しているそうです。

家主や絵師が、こういう気持ちになってもらいたい、これに想いを馳せてほしい、というようなメッセージを発することができるのが襖絵だと思います。

私が幼い頃に寝ていた部屋の襖には、1〜10までの手書きの数字や漢字が書いてあって、寝るとその字が否応なしに私の視界に入ってきていました。おそらく父が書いたと思われる、癖のある字が、今でも妙に記憶に残っています。

襖絵が美しい
違棚は、気品を高めます
柱の彫刻はすべて手彫りです

アクセス
奈良県生駒市門前町1-1
近鉄生駒駅から徒歩約3分で鳥居前駅へ、生駒ケーブルで約5分、宝山寺駅下車、徒歩約10分


2.茅ヶ崎館(神奈川県茅ヶ崎市)

次に、日本を代表する映画監督小津安二郎が、脚本を執筆するために定宿とした「茅ヶ崎館」をみてみましょう。

小津映画の戦後の傑作とされる「晩春」「麦秋」「東京物語」は、「紀子三部作」と呼ばれています。3つの作品には、主人公の原節子が紀子という役名で登場しているからです。その三部作を小津安二郎は、脚本家の野田高梧、柳井隆雄、池田忠雄らとともにこの茅ヶ崎館の、中2階棟の2番の部屋に長期滞在して、執筆しています。

大の小津ファンの私にとっては、この二番の部屋が聖地のような存在です。そこにある鏡台がこれです。

「晩春」では、原節子が嫁ぐ日に、このような和風の鏡台のある部屋で、花嫁支度を整え終わって、父の笠智衆にあいさつをする場面が映画終盤に出てきます。

最近は、このような鏡台をあまり見かけなくなりました。鏡台は、特に女性が身支度を整えて、最後に自分の全身の姿を確認するものでもあります。

私の実家にも、このような鏡台がありましたが、母から鏡台の周囲では遊び回ってはいけないと言われたことがずっと頭に残っていて、鏡台はちょっと緊張を伴うものだという思いがあります。

下の写真の椅子に座って、小津安二郎と野田高梧は、シナリオ執筆の手を休めて、庭を眺めていたのかもしれません。

小津は気のおけない俳優やスタッフたちを、この茅ヶ崎館に招き入れていて、酒宴もかなり頻繁に催していたそうです。

火鉢にあたって庭の景色を眺めていたのかもしれません あるいは酒のお燗をしたかも

茅ヶ崎館
アクセス
神奈川県茅ヶ崎市中海岸3-8-5
東海道線茅ヶ崎駅下車、徒歩20分


3.   戸定館(千葉県松戸市)

3つ目に、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の異母弟にあたる、徳川昭武(あきたけ)の別邸「戸定邸」(とじょうてい)をみてみましょう。

明治期以降に、徳川家の人々がどんな生活をしていたかが、よくわかる日本家屋です。明治17(1884)年、獅子閣と同じ年に完成したもので、大名屋敷でありながら少しづつ新しい生活様式が導入されていった様子が見て取れます。

戸定邸には、兄の徳川慶喜も時々、訪れていたとのことです。隣接する戸定歴史館には、慶喜に関する資料や展示物が豊富にあります。

私は、この歴史館に展示されていた慶喜が撮影した写真や絵画を見て、かなりの腕前であったことがわかり、将軍職を死守しようという人間ではなかったことが、結果的に大政奉還に繋がったのではないかと、感じています。

表座敷の客間
客間から、来客の気分で


表座敷があれば、当然奥座敷や離れ座敷が戸定邸にはあります。そこは女性の生活する空間になります。昭武の母君の暮らした部屋のまる窓の、なんと素敵なことか。

四角い部屋で四角い畳に、丸い形が見えるということが、見る人に安心感を与えているのではないでしょうか。

客間から庭を眺める


戸定邸の庭園は、月に数回公開されていて、表座敷から降りて散策を楽しむことができます。

戸定邸の表玄関

戸定邸玄関入ると、すぐに執事の部屋があり2階には女中部屋があります。徳川家の人をお世話する職員が、どのくらい住まわれていたか、わかりませんが、かなりの数の人が、この戸定邸で生活していたことは確かですね。そこには様々な人間ドラマがあったのではないかと思いますが、今となっては知るよしもありません。

自分の住む家に、知らない人が住んでいるというのは、どうにも気分が落ち着かないものです。当然、廊下ですれ違ったりもするでしょうから、そうすると、あの人は誰なのか、どんな性格なのかなど、当然興味が湧き言葉を交わすようになって、というように、いろいろな物語が展開していきそうです。

戸定邸庭園の南側には、以前学生寮がありました。そこは今は東屋庭園として一般公開されています。

実は、その学生寮に私は住んでいたことがあり、毎日戸定邸を部屋の窓から眺めていました。さらに、その学生寮のすぐ傍に小さな住宅があり、そこには年配の女性が住まわれていました。この方がどんな方かわかりませんが、もしかすると徳川家の末裔の方なのではないかと、勝手に推察しています。

東屋庭園

この東屋公園は、徳川昭武が構想したものを、明治の古写真などをもとに再現したものです。昭武が戸定邸を別荘として、くつろいで気分が落ち着ける場所にしたかったのががよく分かります。

戸定邸 アクセス
千葉県松戸市松戸714の1
JRか新京成線松戸駅下車 徒歩15分

いいなと思ったら応援しよう!