『思考』の言葉と『感情』の言葉
今日(10月6日)から世の中は3連休。
台風の襲来で大変な思いをされている方々も、行楽を満喫されている方々も、仕事に忙殺されている方々もいらっしゃるでしょうが、
私は終日、室内でEFT[Emotional Freedom Technique:感情解放のテクニック]という講座を受講しています。
私は普段、Spiritual Anatomy®という方法論をベースにセッションをしていますが、たしかこの方法論の主宰者MOMOYOさんもその昔、溝口あやかさんという方にEFT(と、後継のMatrix Reimprinting)を習得していたはずだということをひょんなきっかけで思い出しまして。
早速ネットで検索してみたら、その時からほんの半月後にJMET認定のEFTコースというものが開催されるということを知りまして。
これも縁!と速攻申し込みをして、今日に至ります。
初日の今日は、まだまだ導入部分をチョロッとやった感じだと思うのですが、早速書いておきたい大事な気づきが発生。
それが、『思い(=思考)』と『感情』の言葉の判定。
…いまさら、なのです。これだけを書いてしまうと。
そりゃそうだ。
カウンセラーはクライエントの『感情』に寄り添おうとします。
『思考』は、往々にしてその『感情 』が素直に出てくることを妨げます。
その『思考』の妨害をあの手この手でくぐりぬけ、最もココロの奥深くにある、クライエントを苦しめているネガティブな『感情』を見つけることー
これが、普段のカウンセリングでやろうとしていることですもの。
が❕
ある言葉が『思考』と『感情』のどちらに当たるのか、自分はまだまだ勘に頼っていて、きっちりと腹落ちした理解をしていなかったことに気が付いてしまいました。
例えば、
・またか、と思った
・どうせ理解してもらえないと感じている
・騙されたと感じた
…これら、ひょっとしたら私、『感情』の言葉として理解し、処理してしまっていたかも知れません!
またか、と思ったー …その言葉を受けた私は、そのときのクライエントの文脈から勝手に何らかの『感情』を推測し、そうに違いないと決めつけてセッションを進めてしまっていたかも…。
これでは勇み足ですよね。
またか、と思ったときのその気持ちが、無力感なのか怒りなのか苛立ちなのかそれ以外なのか…それは、どんなにクライエントのお話を理解したつもりになっていても、本人に伺ってみないとわからない。
…いやいや、危ないものです。言葉ってデリケートだな、と改めて感じました。
また、もし幸いにもそこまでの間違いを犯していなかったとしても、こういうことをきちんと認識していた方が、クライエントへ質問した際の答えとしてどのような言葉を私が期待しているか、上手く伝えられるなぁとも感じています。
以上、タッピングとはあまり関係ない部分で、嬉しい学びがありました!
イエイ!!
≪ 冒頭の写真:Photo by jesse orrico on Unsplash ≫