【ポンポコ製菓顛末記】 #29創業者はスゴイが創業家はダメだ
投資の失敗は表面上は担当専務、常務の責任。しかし実態はトップの意向を忖度しただけの場合が多い。今回の東京五輪の贈収賄でもトップに成り代わって実行した担当者が逮捕されている。そこがサラリーマンの悲哀。間違っている、悪いと思ってもトップの意向に正面からNOと言えない。とくにトップが創業家の場合はなおさらだ。
けもの道に化けた本社ビル
投資や経営判断の様々な失敗の多くは実際の担当者の間違いよりもそれを裏で操る、意向を示す上司の誤りが多い。何故なら直接上司、トップが手を下すことは稀で、大概は部下に実行を任せるからだ。しかも失敗した場合その責任を取らないことが多い。ドラマや映画で部下に「思い切ってやれ!!責任は全てオレが持つ!!」などというカッコイイシーンがよくあるが、そのようなことは稀だ。むしろ成功したらオレ(上司)の成果、失敗したらお前(部下)の責任というのがざらだ。それでも部下は上司、トップの意向をくんで行動する。逆らって左遷されるよりましだからだ。
読者にはそんな理不尽は創業家経営の企業に多いというイメージがあると思う。確かに幾多の会社で様々な泥沼劇が過去にもあり、私も否定できない。ただ、昔の功を成した企業、創業者は一家言を持っており、ポリシー、理念があるので、それを引き継げば創業家企業のほうがサラリーマン企業よりもよっぽど今で言うパーパス経営が出来る筈なのだ。それが叶わないのは、やはり代を重ねるごとに跡継ぎが劣化してしまうからだろう。俗に言う、2代目、3代目で身上潰すという、いわれである。
ポンポコ製菓の創業は田沼平次郎と木村一雄の二人で起業した。片方が職人、片方が経営という、戦後のSONYやホンダのような名コンビであった。この二人のおかげで小さな零細商店がいっぱしの大企業に成長し、1世紀以上続く老舗企業となった。ただ創業時はは堅実に経営し、社会にも充分貢献していたのだが、2代目、3代目と創業家が社長を継ぐと、投資や判断がハデになり、経営が怪しくなった。
圧巻は木村一雄の孫が5代社長になった時であった。もともとの強気の性格、バブル時代の社会環境もあり、不動産投資をしまくった。特に祖父の夢を実現するという名目で創業100周年事業に向けて、一大テーマパークを創る事業を始めた。米国の有名メーカーをまねて工場、病院、学校等を含む街づくりをするというのだ。
発想は良いのだが、いかんせん身の程知らずであった。山2つ分の広さ、企業資産規模の1.5倍の投資を計画したのだから常軌を逸している。しかし御用商人のようなお抱え幹事ゼネコンや広告代理店は「すばらしい!!」といって煽った。無謀だから辞めたほうが良いと提言した2番手の代理店やゼネコンは出入り禁止となった。そして候補地のタダみたいな山林を借金しまくって法外な値段で買収し続けた。売った地元の人たちは思わぬカネが入ったものだから御殿のような壮大な家を建てた。よくハウスメーカーのモデルハウスにある、「誰が買うの?」というような大きな家だ。地元ではいつしかポンポコ御殿と揶揄された。
しかも質が悪いことに事業推進は社長直轄のプロジェクトで進め、子会社に損失計上してごまかし、本業に迷惑をかけないと社員を騙し続けた。今のように連結会計前なのでグループの損失が明白でなかったのだ。しかし借金を返す見込みが立たず撤退を余儀なくされた。その発表は皮肉にもオープン発表する筈の100周年記念日となった。
後始末は私の上司の経理部長に託された。そのズサンサ、強引さが明るみに出て経理部長もビックリしていた。後ろの席でよく騒いでいた。「いやぁ~、生方君、こりゃ大変だ~!」と。ほとんどがイノシシが通るようなけもの道の雑木林なのだ。損失補填は港区の本社ビル売却で埋め合わせた。当時私は毎朝駅を降りて本社ビルに入る前に見上げてため息をついたものだ。「これがあのイノシシのけもの道に化けたのかよ~」と。
歴史は繰り返す
創業100周年事業の失敗により当社は無配転落となった。5代社長は責任を取って退陣した。実は田沼平次郎の息子が3代社長の時も折からの列島改造論で不動産投資しまくり、希望退職、無配転落という辛酸を舐めたのだ。にもかかわらずまた繰り返したのだ。しかも当時立て直しをしたのが経営企画担当であったこの木村一雄の孫であった。自分が社長になったら同じ過ちを繰り返した。
そして今回もこの引導を渡したのが片方の創業者・田沼平次郎の孫であった。その孫は後を引き継いで6代社長となり、会社の立て直しを期待された。私も経営企画部で共に改革を進めた。無配になった経営を復配して立て直しするまではなんとか我慢していたが、その後は先代に負けず劣らず強引だった。創業家の強引な投資癖は変わらなかったのである。創業家の孫2代の社長時代(5代、6代)に純資産に匹敵する損失を出したのだ。
しかも6代は社長を退いて会長になってからも先の海外展開例やこれまでの会長の逸話?でご紹介してきたように実質経営権を握っていた。通常企業は利益を累積して純資産を貯めるのが使命だ。損を累積してはシャレにもならない。
創業者はスゴイが創業家はダメだ
ポンポコ製菓は創業家経営の悪しき例が出た典型である。かといって特別な例かというとそうではなく日本の企業にありがちな例だ。特に中小企業の2代目、3代目には良くあることだと思う。
何故だろうか?
それは先代、或いは、前任者と違うことをして結果を残したがるからだと思う。俺は偉いんだと、見栄を張る、特に創業者が立派だとなおさら頑張る。そこで、目に見える土地・建物の固定資産、新規事業立上げ、M&Aや新製品・ブランドの成功など、目立つ投資、事業に手を出す。なるべく派手に目立つように。
その時、ブームにのって新しいことをしようとするだけの経営、稚拙な設計やマネジメントだと途端にボロが出る。海外進出やM&A、バブル時代の新規投資などだ。
日本人の経営者の劣化が良く言われる。日本企業の不振はビジョンがないと。昨今はパーパス経営などと騒がれている。 但し、それも無理からぬことだと思う。明治時代は西洋に追いつけ、戦後復興時は米国に追いつけ、追い越せという明確な目的・目標があった。ビジョンなどは不要で、いかに早く安く提供するかという高度成長時代のマスマーケティングをすればよく、それに沿った業務運用システムもそれなりに出来上がり、世界のトップに立つことが出来た。ジャパンアズNO1となって、次の成熟市場時代になって、はじめて方向性が必要になった。社会、顧客をワクワクさせる『真・善・美』が必要となった。
ところが、そんな時代の経営者、団塊世代、当社で言う5代、6代社長はそもそも哲学など学んでいない。全てをカネと効率だけの判断で、哲学なし。というか、当社だけでなく日本人にはもともと哲学など不要。哲学は西洋で生まれた論理学。西洋人は常に移動し土地の神を忘れ、体で感じるより言葉そのものを頭で信じてきた。日本がユニークなのは日本人が移動も侵略もなかったこと。哲学のような文字言語思想は、移動の民のもの。移動も侵略もない、必要としない日本人には哲学というものがそもそも必要でなかったのだ。
だから日本では経営者だけでなく、政治家はもっと哲学が無い。
従って哲学もない、経営学も無い、経営環境も難しい時代に、結果を出そうと新たな事業や投資に稚拙な考えで臨んでも結果は火を見るよりも明らかだ。『負けに不思議なし』と。
そこらへんは有能な部下、所謂番頭さんは心得ていて、「創業家が経営者になったらオモチャを与えなければな」と昔からよく言われていた。当初は何のことか良く解らなかったが、要は失敗しても本業に影響がない案件をトップ主導で渡し「やりました感」を満足させればよい(オモチャ)という現場の知恵である。しかし当社の場合、見事にオモチャではなくなってしまった。古参の番頭さんは「創業者はスゴイが創業家はダメだ」とため息をついていた。
さて、創業家の投資癖はまだまだある。
さらに悪いことに6代社長はスピリッツ迄売り飛ばした。M&Aごっこである。次回はその紹介をしよう。